愛こそが宇宙を救う!

 

ここは浮遊大陸アルカディア、天使の広場。
好天に恵まれた休日、金の髪の女王・アンジェリークは噴水脇のカフェテーブルに一人で座り、人待ち顔で手元のアイスティーをくるくるとかき混ぜていた。

「オスカー、遅いなあ…」
グラスの中でカラカラと音を立てて回る氷をぼんやりと眺めながら、ふうっと小さくため息をついた。

最近はコレットの育成も安定してきて、アルカディアの幸福度も高まっている。
お陰で少しづつ危機も脱し、休日は皆が穏やかで自由な時間を過ごせるようになってきた。
そして今朝、有能な補佐官であり親友のロザリアが「たまには陛下にも羽休めが必要でしょう?」と言ってくれて、今日のお昼を自由に過ごせるよう取り計らってくれたのだ。

もちろんアンジェリークは、恋人のオスカーと一緒に過ごそう!と即座に決めた。
朝一番で伝達を出して、ここを待ち合わせ場所に指定した。

この「天使の広場」は可愛いカフェにお花屋さん、果物市場などが軒を列ね、見て歩くだけでも楽しそうな所だ。
初めてこの地に来た時から、一度でいいからここでオスカーとデートしてみたい、と心の底で願っていた。
女王とは言え、中身はまだ十七歳の少女。
聖地では気軽に出歩く事も、ましてや恋人と堂々とデートなんて絶対に出来ないのだから、そんなささやかな夢が叶うと思うと、久しぶりに心が浮き立った。

アンジェリークは手持ちの服からお気に入りのピンクのワンピースを選び、ヘアスタイルもいつもの女王スタイルより可愛らしい雰囲気に整え、精一杯のお洒落をしてここにやってきた。
なのに、肝心のオスカーがなかなか現れない。

それでも最初は、待っている時間すら楽しかった。
ウキウキとメニューを眺め、(最近はダイエットで我慢してたけど、今日は特別にイチゴのパフェを食べちゃおうっと!買い物もしたいけど時間あるかなぁ?ちょっとくらいなら…腕を組んじゃっても大丈夫よね?)なんて楽しい想像に心躍らせ、うふふと口元に笑みを忍ばせた。

でも30分も経つ頃には、流石に遅いのではと心配になってきた。
もしかして、オスカーの身に何かあったのだろうか…。
不安で胃がキュッと捻れたが、アンジェリークはぷるぷると首を振って不安を打ち消した。
もし何か危険が迫れば、ロザリアからすぐに連絡が来るはずだもの。そんなはずは無いわ。

じゃあ何でオスカーは来ないんだろう。
もしかして、約束を忘れちゃったんだろうか。
それとも…この地で素敵な大人の女性に出会って、そっちとデートしちゃってるとか…?

女王試験の頃のオスカーの姿が、いきなり脳裏に浮かんだ。
沢山の美女に囲まれ、甘い言葉で女性をとろめかせる姿。あの頃はそれを見る度、いつも心がちくりと痛んだ。
ようやく想いが通じて恋人になれたけど、女王になっても相変わらず子供扱いされる事も多く、アンジェリークはそれが不満であり、同時に不安の種でもあった。
もし彼好みの大人の美女が現れたら、そっちに心を奪われちゃうんじゃ無いだろうか。
いくらオスカーが遊び人を返上したと言っても、女性のほうが彼を放っておかないだろうし。

モヤモヤした気分のまま、店の壁にかかっている時計を見ると、いつの間にか約束の時間を一時間も過ぎている。
(ええっ、もうこんな時間?そろそろ帰らなきゃ…)
泣きたいような怒り出したいような気持ちが泡立つように沸き起こり、心がザワザワと苛立っていく。
こんなんじゃいけない、落ち着こう、と慌ててアイスティーを口にした。

ズズーッ!!

広場に響き渡るような耳障りな大きな音が鳴り、慌ててストローから口を離した。
グラスはとっくに空になっていて、底に僅かに溜まった液体の残りと空気が一緒に吸い込まれる音が、辺り一面に響いたのだ。
周りの視線が一斉にこちらに向いたのを感じて、アンジェリークはあまりの恥ずかしさに全身を真っ赤に染めて俯いた。
(もうー!オスカーったら、何で来ないのよ~っ‼︎)
所在なさげに足をブラブラさせながら、怒り顔でぷうっと口を尖らせた。

その時突然、周りの空気がざわめいた。
顔を上げると、広場の入り口にオスカーの姿が見えた。
ひときわ目立つ長身に、印象的な赤い髪。休日だが仕事でもあったのか、正装で隙なくその身を包んでいる。
濃青のマントを翻し大股で颯爽と歩く姿は、存在そのものが人目を惹き付けずにいられない。
周りの女性達が磁石に引き寄せられたかのように一斉に彼を見つめ、熱い視線を送っている。

オスカーは周りの視線には一切構わず、アンジェリークだけにぴたりと視線を合わせてまっすぐこちらに向かってくる。
アンジェリークもさっきまで苛立っていた事も忘れ、ただぼうっと惚けたように澄みきった青い瞳を見つめ返す。
彼がテーブルに近づくと自然に体が席を立ち、彼を迎え入れるように両手を大きく広げた。

しかし、次の瞬間。
オスカーに見とれて足元を見ていなかった女性が石に躓き、すぐ横で転びそうになった。
オスカーは歩みを止めてそちらを向くと、腕を伸ばして倒れる寸前の女性を抱え込み、間一髪でその女性は転ぶのを免れた。
「大丈夫か、美しい黒髪のお嬢さん?」
お嬢さんと呼ぶには少々…いや、かなり年期の入り過ぎているその女性は、逞ましい腕の中でうっとりとした表情を浮かべている。

オスカーは女性がどこにも怪我がないのを確かめると、そっと腕をほどいた。
女性はまだ夢見心地な表情で「ありがとうございますぅ~❤︎」と嬉しそうに顔を赤らめている。
笑顔で「お嬢さんが無事で良かった」と言い、その場を離れようとした瞬間、横からひどく険悪な空気を感じて振り向いた。
そこには椅子から立ち上がり、両手を広げた状態でオスカーを睨み付けている、愛しい恋人の姿があった。

「遅くなってすまなかったな」
遅刻した上に、目の前で(人助けとはいえ)他の女性を抱きかかえている所を見られたのだから、アンジェリークの機嫌がいいはずはない。
オスカーは努めてにこやかに話しかけたのだが、彼女の表情は和らぐ事はなかった。

「オスカーの……ばかーーーーーーーーーっ!!」

アンジェリークは広場中に響き渡る声でそう叫ぶと、くるりと向きを変えて走り去った。
「アンジェリーク!!」
オスカーもすぐに後を追う。
カフェの脇の細い通路を走り抜け、奥の小さな林の方へと走っていく。
逃げ足の早いアンジェリークだが、さすがにオスカーとの勝負では分が悪い。
あっというまに追い付かれ、腕を掴まれた。
「やだっ!離してっ!」
身を捩って必死で振りほどこうとしたが、がっちりと掴まれた腕はびくともしない。

オスカーは腕を掴んだまま大木にアンジェリークの背中を押し当て、落ち着かせるようにじっと瞳を見つめた。
「何をそんなに怒ってるんだ?遅れたのは確かに悪かったが…あの女性を助けたのは人助けの為だ、それくらいわかるだろう?それとも、あの女性を転ぶままにしていた方が良かったのか?」

アンジェリークは腕から逃れるのを諦め、視線を外して俯いた。
「そうじゃ…ないもん。確かにオスカーがあの女の人を抱き上げた時はちょっと頭に来たけど…でも、あそこで助けないような人だったらもっとイヤだし……」

オスカーは、アンジェリークにもう抵抗の意志がない事を読み取ると、そっと腕をほどいた。
「なんだ、やっぱり妬いてたのか?」
「ち、違うもん!それだけ…じゃないわ!」
オスカーの意地悪気な微笑みに、アンジェはまた少し頬を膨らませると視線を外したまま不満の色を言葉に滲ませた。
「じゃあ、何なんだ?」

アンジェリークは黙り込んだ。
目を見られたら、自分がいかに子供じみているのか見透かされそうで、顔も上げられない。
そう、自分だってわかってる。
つまらない事で怒って、オスカーに手を焼かせているのだっていう事くらい。

「だって…今日のデート、本当に楽しみにしてたのに…。一度でいいから天使の広場で二人でお茶をして、買い物をして…そういう普通のデートがしてみたかったんだもん。なのにオスカーったらあんなに遅れてくるし、そのうえ女の人を抱き上げて、私を無視して笑顔まで向けちゃって……」
ああ、これじゃあただの焼きもちやきの駄々っ子だわ。
オスカーが人助けをしたのは、絶対良い事だってわかってるのに。
でも口から勝手に文句が飛び出して止まらない。あーん、どうしよう~!

オスカーは早口で文句を言い続ける恋人を見つめ、口元に手を当てて小さな笑みを浮かべた。
「なるほど。やっぱり補佐官殿の言った通りだな」
(え…?ロザリアが…何?)
顔を上げようとした瞬間にオスカーの顔がすぐ目の前に迫ってきて、思わず目を閉じた。





その耳もとに、子供をあやすような優しいキスが落とされる。
ほんの一瞬だけの、風のような感触。
驚いたアンジェリークが大きな瞳を見開いて彼を見る。
「え…な、何……?」
熟したリンゴのように真っ赤になってカチンと固まっているアンジェリークを見てオスカーは思わず苦笑すると、遅れた理由を話だした。

「補佐官殿は女王陛下がかなりお疲れでストレスが溜まってるから、今日の昼は自由時間にしてさしあげた、とおっしゃってた。で、どうせ俺とのデートになるだろうし、そしたら昼だけでは済まないだろうからと、俺に明日の仕事を片付けてから行くように、との仰せだったんだ。結構な仕事の量があったから約束に遅れてしまったが、少しくらい遅れても女王陛下を一晩自由にできるのであれば、そちらのほうが俺には魅力的な事に思えたんだがな。しかし君は、やっぱりかなりストレスが溜まってるようだ。いつもはこんな事で、目くじら立てたりしないだろう?」

オスカーは言い終わるなり、アンジェリークをひょい、と横向きに抱き上げて歩き出した。
「きゃあっ!オ、オスカー?」
「陛下のお望み通り、もう一度天使の広場でデートから始めよう。それと、俺が他の女性を抱きかかえないように、このまんまの体勢でだ。これなら焼きもちをやくこともないだろう?」
「ええーーーーっ!や、やめてオスカー、お願いだから降ろしてぇ!普通にデートしましょうよ~っ!!」
アンジェリークは必死に手足をばたつかせたが、オスカーは気にも留めずに天使の広場に戻っていく。

女王陛下をお姫様抱っこした格好で悠々と広場に入ってくる炎の守護聖に、周りの民達が仰天の表情を向ける。
驚き、好奇、羨望。そういった様々な視線が、一斉に二人に注がれる。
恥ずかしくって顔を上げる事も出来ないアンジェリークに構わず、オスカーはカフェの一番目立つ席に彼女を抱きかかえたままで腰掛けた。

「もう…恥ずかしいよぉ、オスカー……」
消え入りそうな声のアンジェリークに、オスカーはいたずらっぽい笑みを向ける。
「俺はちっとも恥ずかしくないぜ?さっき皆の前で恋人に逃げ出された事の方が、よっぽど恥ずかしかったんだが。これでおあいこだな?」

結局こうして、いつも彼のペースになってしまうのだ。
アンジェリークは俯いたまま小さく溜息をついた。
それを見たオスカーが、耳もとに小さな声で囁きかける。
「おや?だいぶ女王陛下はお疲れのご様子だな。これは、あとでゆっくりお部屋で癒してさしあげないと…」

ますます顔を赤らめて恋人の胸に顔を埋めるように隠し、縮こまる金の髪の女王陛下と、ひどく楽しそうな炎の守護聖。
この後買い物する時も、通りを散策する時も恋人を抱き上げたままの姿で、それはこの広場を出るまで延々と続いた。
この喧嘩の顛末を息を詰めて見守っていた民達は、心の中で「今日は本当にいい物を見せてもらった…」と大喜びしていたのだった。

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そして次の日。
エルンストとレイチェルは育成地の幸福度を調べていたのだが、休日の間に「天使の広場」での幸福度が急激に上昇している事に驚きを隠せず、顔を見合わせた。
「休日は育成できない筈なのに、一体何故…?」

そう、恋する二人の熱々ぶりは、それを見た民達の心の中にも幸福を植え付けていた。
愛こそが人々を幸せにする。

愛こそが、宇宙を救う!(はずである!)


Fin.