STAY GOLD



女王宮の長い廊下を、優雅な青い髪の補佐官が、その美しい顔には似合わない程血相を変えて走っている。

「もうっ、陛下ったらまた抜け出して!これから守護聖たちとの大事な謁見の時間だというのに」

少女っぽさが抜けなくてすぐに聖殿を抜け出す女王と、眉を吊り上げて追いかけ回す大人びた風情の補佐官。
錫杖を持って聖殿中を駆け回るロザリアの姿は、この聖地名物のようなものだ。
宮仕えの女官たちが、くすくすといつもの光景を遠巻きに見守っている。
この有能な補佐官は、たいていすぐに女王の居所を嗅ぎ付けるので、たいして大きな騒ぎには発展しない。
なので皆、気楽にこの成りゆきを楽しんでいる。

「陛下が行きそうな所といえば…今日は天気もよくて空が綺麗だから、絶対外にいるはずね。公園では人目につきやすいから、森の湖か…いいえ、そんな遠くに行ってる時間はないわ。とすれば…」
ロザリアはぶつぶつと口の中で呟きながら、足を止めて廊下の窓から中庭を見下ろす。
人気の無い中庭の植え込みの合間から、風に揺られて一房の金色の髪が光を反射している。
「…あそこですわね」
ロザリアはくるりと踵を返すと、中庭へ続く外階段へ向かっていった。



「陛下、こんなところにいらっしゃいましたの?そろそろ謁見の時間ですから、お支度なさってくださいませ」
背後から近づいてくるロザリアの声に、ベンチに座っていたアンジェリークが振り向く。
えへへ、見つかっちゃったか、とぺろりと舌を出して肩を竦めるその姿は、一見普段の彼女となんら変わりが無い様に見えた。

「ロザリア、悪いんだけど…あと1時間、ううん30分でいいから、もう少しここに居させてもらえないかなぁ?」
何を呑気な事を、と言いかけて思わずロザリアは言葉を飲み込んだ。
ベンチのすぐ後ろまで辿り着いたところで、アンジェリークの服装がいつもと違う事に気づいたからだ。

いつもの豪華な女王の正装でもなく、普段好んで着ているパステルカラーの私服とも違う。
細長いシルエットのシンプルな黒のドレス。その手には鮮やかなまでに赤い、薔薇の花が一輪。
アンジェリークは自分から黒の服を選んで着る事は、まずない。
ロザリアはその意味を考え、信じたくない1つの結論を導きだした。

「陛下、まさか…オスカーが……」
「その、まさかよ。彼が、亡くなったの」

アンジェリークは穏やかにそう言うと、空を見上げた。
今はロザリアのほうが動揺を隠しきれず、かける言葉すら見つからずに呆然と立ち尽くしている。
「それで、その…いつ……」
ようやくそれだけ言葉を絞り出す。

「ついさっきなの。オスカーったらね、意識が無くなる最期の瞬間に私の名を呼んだのよ。だから、気がついちゃった」
上を見たまま淡々と話すアンジェリークには涙はない。
「最期まで私の事忘れないでいてくれたんだ、って思ったらすごく嬉しかった。だからね、私も今だけは彼の事だけを考えてあげたいの。だからお願い、ロザリア。今だけ…そしたらすぐ、いつもの私に戻るから」

ロザリアに視線を合わさないまま、アンジェリークは静かに懇願した。
ふわふわとした金色の髪が、肩の上で微かに震えている。
「…わかったわ。でも1時間だけよ。後で迎えに来ますからね」
「…ありがとう、ロザリア」

ロザリアの足音が遠ざかっていくのを背後に感じながら、アンジェリークは手にした薔薇を空にかざした。
透けるように青い空に、赤い花びらがくっきりと浮かぶ。
「…オスカー、私ちゃんと普通に言えたでしょう?ロザリアに心配かけてない、わよね」
途端に堪えていた涙が溢れだし、赤い輪郭が薄青の中にぼんやりと滲んでいく。

あなたが聖地を去った時は、愛しあう2人を引き裂いた女王と守護聖という運命を呪った。
古いしきたりすら覆せない女王なんて、何の意味があるんだろう、と。
あの時の私にとって、永遠に会えない事は死ぬ事と同じだと思っていた。
どんなに願っても会う事も出来ない、話す事も触れる事も叶わない、その1点だけに限って言えば、別れは死と同じだもの。

私ね、今だから白状しちゃうけど、あなたの下界での姿をしょっちゅう見てたのよ。
ううん、わざとじゃないの。無意識にね、あなたを思ってたら見えちゃったの。
最初は嬉しかったわ。姿も見れないと思ってたあなたを、見る事が出来たんですもの。
だけどそのうち、何の前触れもなく突然あなたの姿が見えてしまう事が辛く感じるようになってしまった。
私が瞬きをする度、息をする度にあなたの姿がどんどん年をとっていくんだもの。
オスカーの人生がものすごいスピードで終わりに向かっていくのを、為す術もなく見守る事しか出来ないなんて、なんて残酷なものを見てしまうんだろう、って女王の持つこの力を恨みもしたわ。

でもね。

そんな私を立ち直らせてくれて、女王として生きていく誇りを思い出させてくれたのも-----オスカー、あなたの生きる姿だったのよ。


あなたは私と引き裂かれた運命を呪う事などなかった。
いつか再び会える、その僅かな可能性を信じてくれていた。
私がいない事に孤独を感じても、それをおくびにも出さずに笑って人生を送っていてくれた。
運命に負けずに力強く生きていくあなたの姿を見ているうちに、私も運命を恨むのはお門違いだった、って気がついたのよ。

私もあなたのように、強くありたい。
その思いが私に、女王として進む道を示してくれた。


オスカー。
あなたが私に、人を愛する事を教えてくれたのよ。
愛する喜びも、愛する悲しみも。みんなみんな、あなたが教えてくれた。
人は皆、私をいい女王だと言ってくれる。
でもあなたに出会えなかったら、私はきっといい女王になんかなれなかった。

こうして毎日宇宙を眺めていると、本当にたくさんの命が生まれ、そして瞬く間に消えていくわ。
でもだからこそ、全ての魂は黄金に輝いていて、愛おしいの。

宇宙には喜びも悲しみも、人生の全てがある。
この女王の玉座で、全ての魂に慈しみの手を差し伸べる事ができるのは、心が震える程素晴らしい事なの。

今なら、私にもわかるわ。
永遠に会えない事は死と同じなんかじゃ無い。
あなたが精一杯生きていた日々は、私の心に忘れられない記憶として永遠に残り続けている。

死と共にあなたの肉体は土に還り、この宇宙の一部としてまた受け継がれていく。
そして魂はいつまでも、私の心の中で金色に輝き続けている。
時々私の心が弱くなったら、あなたの魂とこうやっていつでも話す事ができるから、寂しくなんかない。
いつまでも泣いてたら、あなたにも心配かけちゃうわね。

アンジェリークは流れていた涙を手の甲でごしごし、と乱暴に拭い去った。
曇っていた景色が次第にはっきりと見え始める。
遠くの柱の陰で、心配そうにこちらを見つめるロザリアの姿が視界の隅に映った。

オスカー、あなたの事をずっと考えていたいのはやまやまなんだけど、みんなを心配させたくないからそろそろ行くわね。



アンジェリークは手にした薔薇の花をそっとベンチの上に置くと、ゆっくりと立ち上がった。
ロザリアの待つ方角に歩き出すと、彼女がほっとしたような笑顔を浮かべているのがわかった。
アンジェリークもロザリアに向かって笑いかける。
その時、オスカーの最期の言葉が聞こえたような気がして、ふと立ち止まって空を振り仰いだ。



-----愛してるぜ、アンジェリーク。



「私もよ、オスカー」

青空に、彼の笑顔が滲んで見えた。




---Fin.---