「アンジェリーク、まだ寝ているの?今日は大陸視察に行くんでしょう、遅刻するわよ!」
ロザリアにベッドカバーを強引に剥がされてもまだ、アンジェリークは「いや〜ん」と寝言を言いながら、往生際悪く毛布の端を掴み、ぐいぐいと体に巻きつけようとしている。
「まったく……しょうがないわね」
腕組みしながら長いため息をこぼしたロザリアは、アンジェリークの耳元に顔を寄せ、小声でささやいた。
「……オスカー様が、お迎えにいらしてるわよ」
「ええっ!?」
一瞬でがばっと飛び起きたアンジェリークに、ロザリアは必死で笑いを咬み殺した。
「……って言うのは冗談よ。さ、とっとと顔を洗って着替えていらっしゃい」
「もうー!騙したのね、ロザリアったら〜!」
アンジェリークは子どものように頬をぷうっと膨らませたが、すぐに「えっ、もうこんな時間?ロザリア、起こしてくれてありがとう〜!」とぺこぺこ頭を下げながら洗面所へと走っていった。
既に完璧に支度を整え終わっているロザリアは、座って待とうとテーブルに向かって歩き出す。
その時、窓辺に飾ってある小さな枯れた花に気がついた。
「あの子ったら、枯れた花をいつまでも飾りっぱなしにして……本当にだらしがないんだから」
呆れたようにはぁっとため息をつき、花が挿してあるガラスのコップを持ち上げる。
「アンジェ、もうこのお花は枯れてるから捨てますわよ」
洗面所に向かって声をかけると、歯ブラシを口に突っ込んだままのアンジェリークがぴょこんと顔を出す。
「ま、待っふぇ!まだ捨てなひふぇ〜!」
口を泡だらけにして必死に訴えるアンジェに、ロザリアは顔をしかめた。
「でももう、なんの花だかわからないくらい枯れてるわよ」
コップの中の花は既に茶色く変色し、お世辞にも綺麗とは言い難い。
アンジェリークは急いで口をゆすぐと、タオルで顔を拭きながら再び顔を出した。
「あのね、それ……オスカー様がデートの時にくださったの。だから、もう少しだけ飾っておきたいなぁって……」
言いながら頬を嬉しそうに染めるアンジェリークと対照的に、ロザリアは(これを……オスカー様が?)と仰天してしまった。
花びらも落ちて茎も折れたその花々は、もはや原型をとどめていない。
眉間にしわを寄せながら、ロザリアがいろんな角度から凝視した結果、おそらく──タンポポとシロツメクサの花だろう、となんとか推測できた。
──でも、これって……例え枯れてなかったとしても、その辺に咲いている、ただの雑草ですわよね?
以前、ロザリアがオスカー様から贈られた、見事な白い薔薇の花束。
あの時アンジェがそれを見て、うっとりしながらも妙にしょんぼりしていたのを、ロザリアはよーく覚えている。
もしやと思って「恋愛的な意味はないみたいよ」と伝えたら、今度は顔をパッと輝かせていた。
そのわかりやすすぎる反応で、アンジェリークがオスカー様に恋をしている事に、ロザリアはすぐに気付いたのだ。
プレイボーイと噂され、いかにも女性の扱いに手慣れているオスカー様と、恋に不慣れでうぶなアンジェリークでは、遊ばれて彼女が傷つく結果になるのではないかと、ロザリアは密かに──いや、かなり──心配していた。
けれど最近は、オスカー様が案外誠実にアンジェリークと向き合っている様子も見受けられ、その心配は杞憂だったのかも、と思い始めていたのに。
よりによって雑草の花束を贈るなんて……この子が悲しむとは思わなかったのかしら?
オスカーに対する怒りがふつふつと湧き上がってきたロザリアは、「あんな方なんておやめなさい!」と言ってやろうと厳しい表情で振り返った。
するとそこには──身支度を終えたアンジェリークが、枯れた花の水をせっせと替え、大事そうに窓辺に飾っている姿。
組んだ両手に顎を乗せ、頬を染めて本当に嬉しそうに──よれよれの花をうっとりと見つめている。
そののほほんとした姿を見ていたら、なんだか怒っている自分が馬鹿馬鹿しくなってしまった。
まあ、この子がそれで良いって言うのなら、わたくしが口を出す謂れも無いわね──
「さ、もう行きますわよ。まったく、毎朝あんたを起こしに来るせいで、わたくしまで遅れそうになるんだから」
「ごめんなさ〜い……。でもねでもね、ロザリアがこうして起こしてくれるおかげで、私、やっと育成が追いついてきたのよ!」
アンジェリークはうるうるとした大きな瞳でロザリアを見つめると、いきなり彼女の首に両腕を回してガバッと抱きついた。
「ありがとうロザリア、だーい好きよっ!」
「ちょ、ちょっとおやめなさい!もう子どもじゃ無いんだから……」
怒り顔でアンジェリークを引き剥がし、目の下をほんのりピンクに染めながら、ロザリアはツンと横を向いた。
ふたりの女王候補は今日も賑やかに、試験へと向かっていく。
タンポポの花束はその二日後、ついに異臭を放ち始め、ロザリアの「もう限界ですわ!」という宣言とともに、静かにゴミ箱へと旅立っていったのである──