親愛なる女王陛下へ
主星では新緑の美しい季節になりましたが、陛下はお変わりなくお過ごしでしょうか?
わたくしは今、主星にあるジュリアスの生家にてこの手紙を書いています。
私達が聖地を去ってから、もうかなりの年月が経ってしまいました。
何度か手紙を書いたのですが、やはり聖地への郵便物は検閲が厳しいのか、封が切られた状態で戻ってくる事ばかりです。
この手紙こそは、陛下のお手元に届く事を願ってやみません。
実は近所に最近越してきた男性が偶然王立研究院に長年務めていたとの事、しかも主任のエルンストと親友だったという話を聞き付けたので、彼にこの手紙を託しました。
エルンスト経由で送ってくださるそうなので、今度は陛下の手元に届く可能性もかなり高いのではないかと今から期待に胸を踊らせています。
この男性の名前はロキシーさんと言うんですけれど、どこかで聞いた事があるように思いません?
まずは何から書いていいのか…迷いましたが、やはりわたくしとジュリアスの近況からお知らせしますわね。
私達は聖地を辞してから主星にあるジュリアスの生家に居を構え、そこで平凡ながら静かで幸せな生活を送っています。
そうそう、わたくしは主星に戻ってすぐに子宝に恵まれましたのよ。
今は1男2女の母親として、賑やかで楽しい人生を満喫しています。
わたくしがおしめを代えたりしてたなんて、あなたには信じられるかしら?
ジュリアスは乳母を雇ってはくれたんですけど、できる限りの事は自分でしたいと思いましたの。
意外でしたけれど、案外わたくしにはこれが向いていたようで、とても楽しかったんですのよ。
そしてこれも意外だったんですけれど、ジュリアスも驚く程子煩悩になり、特に女の子には驚く程甘い父親になりましたの。
あの厳しいジュリアスが、ですわよ?
長女が結婚相手を紹介しに家に連れてきた時など、最後まで反対してたくらい娘を溺愛してましたもの。
どちらかと言うとわたくしの方が、子育てに関しては厳しかったかもしれませんわ。
わたくし達が聖地を去ってから、まだそちらではそれ程時間が経ってはいないのかもしれませんが、こちらではかなりの長い年月が過ぎていきました。
ジュリアスのブロンドは今では少し銀がかかった色味になり、少し短かめにしていつも後ろで一つに結んでいます。
でも彼は外見的には変わっていないのではないかしら?
あまり年をとらないようにも思えます。
わたくしは自分ではだいぶ変わったように思うんですけれども、ジュリアスに言わせるとわたくしの方こそ全く変わっていないらしいのですけど。
そして…これを言うと驚かれてしまうかもしれないんですけれど、先月私達の孫娘がスモルニィの幼稚舎に女王特待生として入学いたしました。
陛下が即位されて以来、そのお力には揺るぎがなかった為なのかここ数十年は女王特待生が出現しなかったそうなのです。
なので周りのほうが大騒ぎになってしまって、少し大変なのですわ。
でも、こんな事を言うと不謹慎と思われてしまうかもしれませんが…もし、この子が女王になって陛下が退位される日が来ましたら、ぜひわたくしとジュリアスの家に遊びに来ていただきたいと思ってますの。
もちろんこの子が生きている間に女王交代があるとは限りませんが、もし、そんな日が来ましたら…ただの人間として、普通の女性同士として陛下とまたゆっくりと会話を交したいのです。
もちろんその時は、オスカーも一緒に来ていただけると嬉しいですわ。
ジュリアスも、きっととても喜んでくれる事でしょう。
わたくしとジュリアスは、家族が寝静まってからよく二人で夜のバルコニーに出て、星空を眺めます。
美しく煌めく星々、柔らかくて優しい風…何も話さなくても二人、共に幸せな気持ちに包まれます。
こうして何でもない幸せを噛みしめる事ができるのは、陛下が宇宙を幸福に導いてくださっているからだと、心から実感します。
そしてこんな素晴らしい宇宙を築ける陛下もまた、きっとお幸せでいるに違いないと思えるのです。
目を閉じると、幸せそうに微笑む陛下と、その傍らで優しく陛下を見守るオスカーの姿が浮かんできます。
あの聖地での素晴らしかった日々、陛下に出会え、ジュリアスという伴侶を得、陛下とオスカーの幸せを見届ける事が出来たのは、わたくしの心の中の消えない宝物なのです。
今、こうして平凡ながら幸せに暮らし、新しい命を繋いでいく喜びを知る事が出来たのも、あの聖地での日々のお陰です。
だいぶ長々と書き連ねてしまいましたが、この続きはいつかまた、会える日が来た時にでもゆっくりとお話ししたいものですわね。
わたくしも、陛下のお側にいる事は叶わなくても、いつもこの空の下で陛下とオスカーの幸せを願って暮らしています。
あなたの大切な友人、ロザリア
アンジェリークは女王の執務室にある大きな窓の前で、その手紙を繰り返し、繰り返し読み返していた。
青い便箋から仄かに立ち上る薔薇の香水の香り。
懐かしい親友の優雅な笑顔が脳裏に浮かぶ。
その時アンジェリークの背後から、ノックの音と共にドアが開く気配がした。
「失礼します、陛下」
張りのある聞きなれたバリトンに振り向くと、オスカーは女王の顔を見た途端に慌てたように駆け寄ってきた。
「どうした、何かあったのか?」
あっという間に自分の前までやってきて心配そうに顔を覗き込んでいるオスカーを見て、アンジェリークはそこで初めて自分が涙ぐんでいた事に気がついた。
「ううん、違うのオスカー。これを見て」
涙ぐみながらも嬉しそうな微笑みを浮かべるアンジェリークにオスカーは少し安心しながら、手渡された便箋に目を通し始めた。
「これは…」
オスカーの瞳が驚いたように見開かれ、やがてその目は懐かしそうに眇められる。
そのまま無言で手紙の文面に目を落とし続けるオスカーを、アンジェリークは黙って見つめていた。
「ジュリアス様とロザリアが聖地を去ってまだそんなに長い時が流れているとは思わなかったが…こうして手紙を読むと、あちらではもうかなりの年月が経っているんだな」
オスカーが顔を上げ、窓の外に視線をやりながら遠くを見つめる。
「もうお孫さんもいるんですって。なんだか信じられないわね」
二人は寄り添いながら窓から見える景色を静かに眺めた。
もう私達の住む世界と、ジュリアスとロザリアの住む世界は全く違う時間が流れてしまっているのだという現実が、ひしひしと実感として迫ってくる。
でも、寂しいとは思わない。
だって私達は違う時間の流れる世界に住んではいるけど、確かに今、同じ時間を生きている。
時間の流れるスピードこそ違っても、今この瞬間に、互いに同じ宇宙の中で幸せを感じているのに違いはないのだ。
「いつかまた…ロザリアとジュリアスに会えるかな」
「きっと会えるさ」
独り言のように洩らした言葉に、オスカーが間髪入れずに答えてくれる。
でも私もオスカーも知っている。
おそらくもう、ジュリアスやロザリアに会える日は来ないだろうという事を。
それでもほんの少しでも希望がある限り、決して簡単に諦めてはならないという事も。
アンジェリークはオスカーの横顔を見つめて微笑むと、その腕に甘えるように自分の腕を絡めてそっと頭を預けた。
「家族かぁ…今の自分には縁が無い世界だからかな、なんだかすっごく羨ましく感じちゃう」
脳裏に両親の優しい笑顔が浮かび、子供時代の平穏な日々が蘇る。
あの頃はお誕生日プレゼントにお兄ちゃんが欲しいと泣いて駄々をこねて、よくママを困らせたっけ。
「…でも私にはこんなに素敵なお兄ちゃんがいるものね」
唐突に口から零れた言葉に、自分でも少し驚いた。
本当に自然に心から出てきた言葉だけど、今の自分がそんな風に思えている事が驚きだった。
だってオスカーとこうして心が通じ合うようになる前は、「妹でなんかありたくない」って思っていたはずなんだもの。
でも今は…この人と絶対に断つ事の出来ない絆があればいいな、と思う。
親子とか、兄妹とか…そういった無条件に信じあえる関係、強くて揺るぎない、心休まる間柄でありたいな、と心から思える。
アンジェリークの言葉を聞いたオスカーが、クスリと小さな笑いを洩らした。
「君がまだ女王候補だった時にも、似たようなセリフを言われたな」
「…もしかして、嫌だった?」
急に心配になってオスカーの顔を仰ぎ見ると、彼はひどく穏やかな目をして微笑んでいた。
「昔は、な。あの頃は俺の事などなんとも思っていないとはっきり言われているようで辛かったが…今は違う。君が望むなら、兄だろうが父親だろうが息子だろうが、何にだってなってやりたいと思ってるぜ?」
そうだ、今は本当に心からそう言える。
君が失った家族を思い出して寂しくなるのだったら、俺が家族になってやる。
ロザリアがいなくて心細いのなら、俺が親友になる。
人の上に立つ事に疲れてしまったら、時には俺が上に立って君に手を差し伸べてやる。
だが、これだけは忘れないでくれ。
アンジェリーク、俺は君の、ただ1人の恋人だ。
オスカーの力強い視線に安心したように、アンジェリークは再び微笑んだ。
何も言わなくても同じ事を考えている、わかりあえている────その事実が、アンジェリークの心に深い幸せをもたらしていく。
「…ありがとう、オスカー」
窓から差し込む明るい光が、幾本もの筋となって二人に降り注ぐ。
その眩しさにアンジェリークはそっと瞼を閉じ、もう一度オスカーの胸に寄り添った。
これから先、宇宙にも私達の間にも平穏ばかりが訪れる訳ではない。
様々な苦難や堪え難い悲しみに襲われる日もあるかもしれない。
それでもこの人がいてさえくれれば、私はきっと全てを乗り越えていける。
だから今だけはこうして、静かに二人でいられる事の幸せを噛みしめていたい。
開け放たれた窓から気持ちの良い風が吹き込み、アンジェリークの金の髪を柔らかく揺らしていく。
誘われるようにオスカーがその金の髪にそっと唇を埋める。
その優しい感触に、目を瞑ったままアンジェリークは微かに微笑んだ。
二人きりの時間が、静かに過ぎていく─────