Hell or Heaven

~第3章・結婚式の夜(3)~


アンジェリークは私室に戻ってからも、ベッドに腰掛けたり部屋中歩き回ったりと、落ち着きなく過ごしていた。

あの結婚式の終わり際にオスカーが言った言葉。
私の部屋に今夜来る、と彼は言っていた。
果たして本当に…そんな事が出来るのだろうか?

開かれた女王制を掲げているとは言え、基本的に女王宮は不可侵の聖域だ。
幾重にも張り巡らされたコンピューター管理の警備システム、そして網の目のように配置された赤外線装置。
さらに訓練された特殊警備兵が数百という単位で各所に配備されている。
そんな中で侵入し、もし捕らえられてしまったら、例え守護聖といえども厳罰は免れないだろう。
死罪や永久追放とまではいかなくても、地下牢に幽閉され、尋問や裁判にかけられるかもしれない。
アンジェリークは背筋に寒気が走るのを感じ、両腕で自分の身体をきつく抱きしめた。

そんな事、させられない。そう頭ではわかっている。
なのに私は心のどこかで、オスカーが来てくれるのを待ち望んでいる。
あの礼拝堂での結婚式で、私の心はあと少しで壊れてしまうところだった。
それを彼の暖かい手が、救ってくれた。
あの大きな手に縋りたい、そして…ジュリアスとロザリアが愛を確かめあうこの夜に、また何もかもを忘れさせてほしい、そんな馬鹿な事を考えてる。
触れた手からオスカーの暖かな熱を感じた時、私の身体にも熱い何かが沸き起こった。
あの燃えるような手に身体中包まれたい、そして初めて抱かれた日のように、あの熱に流されてしまいたい─────!

私はなんて身勝手で、ずるい人間なんだろう。
オスカーは優しくて責任感の強い人だ。
一度ここに来ると約束したからには、例え危険があってもやり抜こうとするだろう。
私が辛そうにしていたら、彼は放っておく事などできない人なんだから。
その優しさや同情心を利用して、私は彼に危険を犯させようとしている。
そして…愛すらないのに、再び抱かれてもいいとさえ思っている。
いつから私は、こんな汚い人間に成り下がってしまったの?

その時、部屋の外で何か音が聞こえたような気がした。
思わず立ち上がり、辺りを見回す。
心臓はうわずったような音を立て、唾が喉を通り抜ける音がごくりと響く。
オスカーは窓の外のバルコニーから来るのか、それとも堂々と正面のドアから来るのだろうか───?

アンジェリークはドアと窓に交互に視線を走らせる。
自分の神経が研ぎ澄まされたように鋭敏になっていくのが感じられる。
堪え難いような沈黙の中で、小さなノックの音がドアから聞こえた。

アンジェリークは弾かれたようにドアに走り寄ると、大急ぎで鍵を開けた。
そこには自分が会いたくて、そして会いたくなかった人物───オスカーその人が、立っていた。
彼は音もなく部屋の中に身体を滑り込ませると、後ろ手で素早くドアを閉めた。

「オスカー、大丈夫なの?警備兵には見つからなかったの?こんな…こんな危険を犯して本当に来るなんて…どうして…」
アンジェリークの泣きそうな表情に、オスカーは安心させるように口元を上げて笑みを向ける。
「そんな心配しなくてもいい。俺はこの聖地の、そして女王宮の警備の最高責任者でもあるんだ。ある程度のエリアまでは正面から堂々と入ってくれば、むしろ不審がられる事はない。警備兵も外からの侵入者には厳しく対処出来るように配備されているが、女王宮内部はむしろ一介の警備兵ごときは足を踏み入れられないんだ。内部は全てコンピューターシステム任せだが、俺はパスワードも全て知っている。ここまで来るのに、一度も危険には遭遇しなかったぜ?」
余裕すら感じさせる態度のオスカーに、それでもアンジェリークは不安そうな表情を崩せなかった。
「たとえ危険がなかったと言われても…どうして、ここに来たの?」

「…陛下が、苦しそうで見ていられなかったからだ」
即答するオスカーに、アンジェリークは心のどこかで(ああ、やっぱり…)と納得する。
いつも私の心を案じてくれて、助けてくれようとする優しい人。
そして事実、私はオスカーに救われ続けているのだもの。

「それと、陛下が俺を避けていたのも気になっていた。ずっとその事を話したかったんだ。君は…あの日、俺に抱かれた事を後悔しているのか?俺のとった行動は、君を救うどころか、苦しめていただけなのか?」
さっきまでの余裕の表情から一変して、オスカーの瞳が真剣な光を帯びてこちらを見つめる。
その真直ぐな問いと視線が、心に痛かった。
でも、私も心のうちをさらけ出して、正直に話さなくちゃいけない。
それが私にいつも無償の優しさを注いでくれるこの人への、礼儀でもあるのだから。

アンジェリークは決心を固めると、顔を上げてオスカーを真っ直ぐ見つめ返した。
「…オスカー、ずっと避けちゃっててごめんなさい…。私はあの日…あなたに抱かれて、間違いなく心は救われたの。それは本当よ。どれだけあなたに感謝したか、言葉では…言い尽くせない」
声が震えそうになるのを必死で抑えつけたが、緊張で口の中が乾いて粘つくようで、その先の言葉を発するのにひどく時間がかかる。
指の先が白くなるくらい拳をぎゅっと握りしめ、勇気を振り絞った。
「でも…私は自分の事を許せないの。だってあの日、私はオスカーに抱かれながら、ジュリアスの事を思い浮かべていたのよ?自分の苦しみから逃れる為に、オスカーを利用してしまったの。だから…あなたに会うのが怖かった……」

自分ですら向き合いたくなかった心の醜さを曝け出し、居た堪れなくてアンジェリークは目を伏せた。
だがオスカーはまるでそんな事は気にしていないというように、アンジェリークのきつく握られた手を取ると、両手で優しく包み込む。
「陛下が救われたんだったら、それだけで俺は充分なんだ。俺に抱かれながらジュリアス様の事を思い浮かべようが、それは君の心の自由なんだしな。そんな事で自分を責めないでほしいし、今日みたいに辛い時にはいつでも俺を…利用してくれたって、別に構わないんだぜ?」

ごく軽い口調でそう言いながらも、どこまでが本心から出た言葉なのか、オスカー本人にすら良くわからなくなっていた。
利用されてもいいからアンジェリークと関わりを持ちたいと思う自分と、愛されていないなら引くべきだ、と思う自分。
どちらも本心で、選ぶ事など俺には出来ない。
だが、彼女が少しでも俺を必要としてくれるなら…きっとそこには泥沼の苦しみしかないと知っていても、俺はアンジェリークを離したくないのだ。

しかしアンジェリークは俯いたまま、何も答えない。
オスカーの両手の中で、彼女の小さな拳が震えている。
ここが、引き際なのか。
オスカーは思いを振り切るように小さくかぶりを振ると、口元にフッと笑みを浮かべながらそっと手を離した。

「…とにかく俺はそんな事気にしていないから、陛下も気に病まないでほしい。こうして話せたお陰で、俺も心のつかえが無くなったしな。これで明日からは、お互い普通に接する事ができるよな?俺はもう帰るから、これからも必要な時はいつでも遠慮なく声をかけてくれ」
そう言ってドアのノブに手をかけた瞬間、オスカーの背中に何か、覚えのある柔らかい感触が押し付けられた。
「陛下…?」



オスカーは驚きに動く事も出来なかった。
アンジェリークが、俺の背中に縋り付いている?
一体これは、どういう事なんだ?

「オスカー、お願い。私を今夜、一人にしないで…!ジュリアスとロザリアが初めて愛を確かめあってるこの夜に、一人でいたくないの。勝手な事を言ってるのはわかってる、だけどお願い…!今夜だけでいい、側にいて……!!」

とんでもない事を言っているのは、わかっていた。
私はオスカーを、誘っているのも同然だ。
でもこの孤独な夜を、一人で過ごすのは耐えられない。
オスカーが来てくれた時、やっぱり私は正直に…嬉しかった。
そして今、話だけしてさっさと帰ろうとする彼を、帰したくないと反射的に思った。
彼がドアに手をかけた瞬間、考えるより先に身体が動いてしまっていた。

逞ましい背中に顔を埋めながら、アンジェリークは自分の体内に熱が沸き起こるのを抑える事が出来なかった。
初めてオスカーに抱かれた時の、あの広くて暖かい胸の感触が蘇る。
あの熱に包まれて、何もかも忘れてしまいたい─────────!

オスカーが振り返ると、アンジェリークの碧の瞳と視線がぶつかった。
縋るようにじっと見つめる瞳の中に、まだ戸惑いが残るオスカーの表情が映り込んでいる。
「陛下…」

アンジェリークは小さく首を横に振った。
泣き出しそうに潤んだ瞳がゆらゆらと揺れ、瞳の中のオスカーの姿がぐらりと歪んでいく。
「お願い、私の事を陛下と呼ばないで。今だけは、女王じゃなく…ただの一人の女として、私を見てほしいの…!」

オスカーももう、ここが限界だった。
理性が音を立てて弾け、突然アンジェリークの唇に自分の唇を強く重ねる。
柔らかな唇を激しく吸い上げ、舌を絡め取り、深く覆いかぶさるようにして吐息も全て呑み込んでいく。
アンジェリークの背中が弓なりにしなり、細い腕がしがみつくようにオスカーの背に回される。
二人の体がぴたりと合わさり、溶け合って一つになる。
欲望を剥き出しにしたような情熱的なキスに、あっという間にアンジェリークも息が上がる。
息が出来なくて喘ぐように上向くと、オスカーがその細い顎に噛み付くように口づけた。

オスカーは片足をアンジェリークの太股の間に割り入れると、そのまま半ば強引にベッドまで押し倒した。
唇を貪りながらネグリジェの胸元をボタンごと引きちぎり、ブラを半分程引き下げて、露になった胸を揉みしだいていく。
初めての時とは比べ物にならない程荒々しい愛撫に、アンジェリークは不安になるどころか、より一層身体が熱く反応するのを感じて驚く。
自然に甘い喘ぎ声が洩れ、自分からもオスカーに足を絡めていく。
早く素肌を触れあわせたくて、もどかしげに彼のシャツをひっぱり、そのまま二人はもつれあうように夢中になって互いを求めあった。

オスカーも、アンジェリークが初めての時よりずっと自分に身体を開いている事を感じ取っていた。
彼女は俺を求めている、その思いが余計にオスカーを狂わせていく。
まるで無抵抗の小動物を貪り食らう肉食獣のように、獰猛なまでに激しく華奢な肢体を食らい尽くす。

頭のどこか奥の方で、もう止めるんだと警告が聞こえる。
愛されてもいないのにこんな事を続けていても、必ずこの関係は破綻する。
抱けば抱く程苦しむだけだ、今なら間に合う、引き返すんだ────────!!

だが心とは裏腹に、身体はアンジェリークへの侵入を止めようとはしない。
蜜が溢れて柔らかくオスカーを待ち望む場所の誘惑から、逃れられない。
その中心に叩き付けるようにオスカー自身を収めると、薔薇色の唇から甘い叫びが洩れた。
もっとその声が聞きたい。もっと感じさせてやりたい。もっと。もっと。

オスカーは彼女の足を高く持ち上げて肩に乗せるように抱え込むと、全体重をかけて激しく内部を貫き、そのまま腰を回すようにねじ込みながら打ち付けた。
アンジェリークはあっという間に絶頂に達したが、オスカーは爆発しそうな自分を抑え、彼女の内部の収縮に合わせるようにゆっくりと自身を出し入れし、少しでも長く絶頂間を味わわせてやる。

ようやく収縮がおさまると、まだ快感に朦朧とするアンジェリークの中に収めたままの自身を、再びゆっくりと動かしはじめた。
「あ………っ、あ、あぁぁ………………!!」
イッたばかりでまだ熱く蕩けるようなアンジェリークの内部は、すぐにまた高みに昇りはじめる。
今まで経験した事がないような、苦しいくらいの圧倒的な快感。
「あ……は…………ぁ、………ダメ、また……ああぁっ!!」

何度も達し、既にいきっぱなしのような状態に彼女を追い込みながらも、オスカーは動きを止めなかった。
ようやくその精を体内に放った時、アンジェリークはあまりの快感に半ば失神したように意識を飛ばし、ぐったりとした身体を小刻みにひくつかせていた。

オスカーは気が遠くなるような快感に包まれながら、彼女の身体の上に崩れ落ちるように自分の身体を重ねた。
互いの汗と荒い息が、身体の上で混じりあう。
アンジェリークとともに燃え上がり、激しく求めあったこのひとときは、確かにオスカーにある種の幸福感をもたらした。

なのに、身体の熱が治まり、互いの息が整いはじめると────オスカーの心に、やるせない感情が沸き起こる。
アンジェリークは抱かれている間、一度もその目を開けなかった。
一度も俺の名を、呼ばなかった。
その事実が、心に深い闇を広げていく。

彼女はやはり、ジュリアス様をその脳裏に思い浮かべていたのだろう。
だから俺を見る事も、名を呼ぶ事もしないのだ。
そんな事は承知の上だったはずなのに、実際にこうして目の前で実感させられると、身を斬られるような痛みが走る。

だが、俺はもう後戻りは出来ない。
底なしの泥沼に、自分の意志で両足を踏み入れてしまったのだから。
後はゆっくりと沈んでいき、いつか口元まで泥に埋まって息が止まるその瞬間まで、この関係を続けていくしか道は残されていないのだ。

俺を泥沼から救い上げられるものがあるとしたら、それはアンジェリークの真実の愛だけだ。
いつ沈みきってしまうのかわからないが、この関係を続けて彼女の側にいるうちに真実の愛を得る事が出来たなら、俺の魂は救われる。
だがもし失敗してしまったら────俺は沈んでいく最後の瞬間に、必死でもがいて彼女の足首を掴み、地獄に道連れにしてしまうかもしれないのだ。
そんな真似だけはしたくはない。
たとえどんな残酷な結末が待っていたとしても、俺は彼女を救いたい、それだけは俺の真実だ。
最後に不様に彼女の足に縋り付くくらいなら、自分で舌を噛み切ったほうがよっぽどマシだ。

あまりに勝算のない、リスクばかりが大きい賭けだが、俺は彼女の近くにいて愛を得られるチャンスを掴む為、この関係を続ける道を選んだのだ。
どんな苦しくとも、途中で放り出す訳にはいかない。
オスカーは傍らで安らかな寝息を立て始めた愛しい存在に視線を落とし、そっと口づけた。



アンジェリークが朝日の眩しさに目覚めた時、傍らには既にオスカーはいなかった。
シーツは冷たい。
もう、かなり前に彼はこの部屋を出たのだろう。
その冷たさが、心に寒々とした寂しさを運んでくる。

私はまた、オスカーに甘えてしまった。
しかも───自分から彼を誘い、信じられない程乱れて燃え上がり、欲望の波に溺れて流されていった。
私はもしかすると、自分で思っていた以上に淫乱な女だったんだろうか。
弱くて狡くてふしだらで、淫乱。
こんな救い難い人間が、宇宙の女王などともてはやされているこの現実が、不思議でもあった。

でも今、驚くほど気持ちはスッキリとしている。
あの礼拝堂での壊れかけた心はどこにもなく、ジュリアスの事も、ロザリアの事も何にも気にはなっていない。
オスカーとの激流に呑みこまれたような一夜が私の心を救ってくれた事は、間違いようのない事実だった。

だけど私は最後まで───抱かれながら目を開ける事が出来なかった。
醜い自分の行為から目を背けたくて、現実から逃れたくて…ただ固く、目を瞑っていた。
オスカーの名を、呼ぶ勇気すらなかった。
もし呼んでしまったら───きっと私の心に愛などなくて、自分勝手な快楽だけで抱かれている事に、気付かれてしまうと思ったから。

ふと自分の身体を見下ろすと、紅い花びらを散らしたような跡が、身体中あちこちにつけられている。
オスカーの噛み付くような愛撫を思い出し、アンジェリークは思わず身体を震わせた。
そう、初めての時とは違う。私はもう、ジュリアスの事を思い出しもしなかった。
あんな炎に焼き尽くされるような激しい抱き方は、きっとオスカーにしか出来ないだろうから。

オスカーに貫かれた記憶が蘇り、身体の奥が甘く疼きはじめる。
私はもう、熱く抱かれる快感の味を知ってしまった。
この先どうやって、この熱を逃してやればいいんだろうか?

その時アンジェリークの視界に、ベッドのサイドテーブルに乗せられた一枚のメモが映った。
そこには特徴のある右上がりの力強い筆跡で、こう記されていた。
『一人でいたくない夜は、いつでも俺を呼んでくれて構わない。もし俺を呼びたければ、毎朝の守護聖との定例会見の時に、赤い薔薇をどこかに身に付けておいてくれ。その夜は何があっても必ず、君の側に行く』

アンジェリークは、その心遣いが正直に嬉しいと思った。
だけども同時に、不安も襲ってくる。
淫乱な私は、身体の疼きに耐えかねて、オスカーを肉体の関係の為だけに利用してしまうのではないだろうか。
実際今この瞬間でさえ、もう抱かれたくて堪らないと思ってしまっているのだ。

自分の中に初めて芽生えた悪魔のような欲望に戸惑いながら、それでもきっと近いうちに赤い薔薇を身に付けてしまうだろう予感に、震えながら両手で自分の身体を抱きしめた。