Hell or Heaven

~第5章・Kiss the planet(1)~


謁見の間には、ジュリアスを除いた全ての守護聖が集まっていた。
天井付近に設置された巨大なスクリーンを、皆が期待に満ちた瞳でじっと見つめている。

やがてスクリーンに一つの惑星が映し出される。
生まれたばかりの、若い生命力に溢れた新しい惑星。
映像は次第に惑星に近付いていき、やがて地表がはっきりと見えてくる。

更に映像がクローズアップされ、惑星のとある場所に画像が切り替わる。
何もない、荒涼とした果てしない大地。
そこに金色の光がぼんやりと映り、その光は次第に二つの人間の形へと変化していく。
女王アンジェリークと、首座の守護聖ジュリアス。
二人は金色のオーラに包まれたまま、ゆっくりと地表へと降り立った。

アンジェリークが女王になってから、沢山の新しい制度が生まれ、そして古いしきたりが姿を消していった。
これからおこなわれる『新惑星への祝福』も、アンジェリークが新たに提案した制度の一つだ。
新しい惑星が宇宙に誕生すると、アンジェリークは必ずその星に自ら足を運ぶ。
そして生命の種を授けるべく、直接惑星の大地に祝福の口づけを贈るのだ。

女王のサクリアが直接送り込まれたその場所は、その後長きに渡って『奇跡の場所』となる。
最初の生命はそこから誕生し、そこから新しい文明が発展していく。
やがて災害や戦争で人々が傷付く時が来ても、そこに行って祈りを捧げれば心が救われると言う、人々にとっての文字通りの『聖地』となるのだ。

もちろんまだ誕生したばかりの星であれば、大気も気温も安定してはおらず、女王が一人で行くには危険が多すぎる。
女王の力で身体の周りにバリアを張れば大きな危険に遭遇する事は考えにくいが、それでも万が一の不測の事態に備えて、必ず守護聖が一人、同行する決まりとなっている。
アンジェリークは皆に均等に機会を与えたいと、年齢などに関係なく無作為に守護聖を同行していた。
今回の同行者は、たまたま忙しくて今まで同行した事のなかったジュリアスになった。

オスカーも一度この祝福に同行した事があったが、それは信じられないような素晴らしい経験だった。
アンジェリークは自らの力で次元回廊を開き、同行者と自分を女王のサクリアという金色のバリアで包み込んで、新しい惑星へと向かう。
その金のサクリアに直接包まれる感覚を、どうやって表現したらいいのだろうか?
暖かくて柔らかい、例えようのない幸福な光に包まれる、目の眩むようなあの感覚。
生まれる前に母親の胎内に包まれている時はきっと、こんな感じだったのだろうかと思わせてくれる。

やがて惑星に到着すると、アンジェリークは地に足を付け、ゆっくりと歩く。
そして気に入った場所を見つけるとそこで立ち止まり、膝を付けて屈みこむ。
両手を地面に付け、そのまま本当にゆっくりと───唇を地表に触れさせる。
その時のアンジェリークは滲むように体内から光を放ち、神々しいまでに美しい。



やがて唇が触れている場所から金色の波動が広がっていき、あっという間に惑星を覆い尽くす。
一緒に同行している守護聖も、その祝福のサクリアを一瞬身体に浴びるのだが────
それは、快感とかそんな陳腐な言葉では表現する事が出来ない程の、物凄い体験だ。
おそらく一生かかっても、あれ程の幸福感を体現する事は不可能だろう。

アンジェリークは祝福を終えると立ち上がり、僅かに泥の付いた唇を拭う事もせず、再び次元回廊を開いて聖地に戻る。
そして同行した守護聖は…すぐにでもまた自分が同行したいと、強く願う。
こうして聖地で暮らしていても、女王のサクリアが包み込むように常に宇宙に存在している事は、守護聖なら誰でも感じている。
だが、直接女王のサクリアに包まれその幸せな力をこの身に感じる事など、めったに出来ない素晴らしい経験なのだから。

スクリーン上には、アンジェリークが惑星の上を歩き回る姿が映し出されていた。
やがてここだという場所を見つけたのか、瞳がきらきらと輝く。
そこで跪くと、彼女はゆっくりと祝福の口づけを落としていった。
美しい金の光が、アンジェリークの身体から地表へと波打つように広がっていく。
女王の後ろに佇むジュリアスも、その波動に身を包まれ恍惚とした表情を浮かべて女王を見つめている。
スクリーンを見つめる守護聖達も、その金のサクリアとアンジェリークその人が放つ美しさに、声を出す事も忘れてただ惚けたように見続けている。
祝福を終えたアンジェリークが立ち上がると、皆の間から歓声が上がり、誰からともなく拍手が起こる。

彼女はもはや、今までの女王と同じ存在では無くなっていた。
今までのどの女王よりも身近にいながら、最も強大な力を感じさせる存在。
彼女が偉大な女王である事に、異義を挟む者はもうこの宇宙には存在していなかった。



アンジェリークは惑星から戻ると、疲れた身体を癒す為に自室へと向かった。
着替える気力もないくらい身体は疲れきっていたが、心は充実感で溢れていた。
そう、私はこの『惑星への祝福』という行為が、例えようもなく好き。
自分のサクリアを一時的に最大限まで放出する為、身体にはかなりの負担がかかる。
でもサクリアを放出した後の、惑星の喜びの声を聞くようなあの感覚が大好き。
私はこの宇宙の為になっているのだとはっきり実感出来る、あの幸せな瞬間。
女王に相応しくないと思っていた自分に大きな自信を感じさせてくれる、あのひととき。

そして今日の同行者にジュリアスを選び、二人きりでいたというのに…何も心がざわめかなかった事も、アンジェリークには嬉しい発見だった。
聖地に戻ってからジュリアスに礼を言われ、熱のこもった眼差しで手を握られ「陛下は素晴らしい、このような力を私は体験した事がない」と熱く語られた。
なのに、私の心は平静なままだった。
きっと以前の私だったら、あんな瞳でジュリアスに見つめられたら、勘違いな期待を抱いてしまっていた事だろう。
私はようやくジュリアスへの思いを、昇華させる事が出来たんだ────

そう思った瞬間、オスカーの姿が脳裏に浮かんだ。
途端に心臓が大きく踊り、息が苦しいような感覚に襲われる。
そうだ、こうやってジュリアスへの思いを平穏な物に変える事が出来たのは、オスカーのお陰なんだ。

オスカーに、今すぐ会いたい。
会って、今日の事…ジュリアスへの思いを吹っ切る事が出来たという事や、それはオスカーのお陰なんだという感謝の気持ちを話したかった。

でもその思いを、アンジェリークは慌てて打ち消した。
オスカーは、私と身体を楽しむ関係だけを求めてるんだ。
だからこんなお話するだけに呼び出されたって、迷惑に決まってるんだから─────

今日の朝、祝福に出かける前に私は赤い薔薇を身に付けてオスカーの前に現われた。
もうすぐ彼が、ここに来る。
いつものように、ただ身体を繋ぐ為だけに────

それこそが自分の望んでいた関係のはずだった。
自分一人がオスカーの肉体を利用してるんではなくて、お互いに快楽を求めあうだけの、対等で気楽な関係。
オスカーに今まで感じていた後ろめたさも、これなら感じなくても良いはずだった。
なのに、心はいつまでも晴れない。
それが何故なのか、わかりたくなくて無理矢理心の目を閉じていた。



オスカーは執務を終え、既に私邸へと戻っていた。
着替えを終え、後は女王宮の警備が最も手薄な時間帯を狙ってアンジェリークの元へ行くだけとなっていた。
心の昂りを抑える為、強い酒を静かに煽る。
その時、玄関の呼び鈴を鳴らす音が微かに聞こえた。

───誰だ?こんな時間に。

訝しく思いながらもドアを開けると、そこにはオスカーの悪友であって心を許せる貴重な友人でもある、夢の守護聖・オリヴィエが立っていた。
「やっほー☆ちょっと早い時間なんだけど、飲みたい気分になっちゃってさー。マルセルんとこの地下室から奪ってきた極上の酒があるんだ、一緒にどうだい?」
オスカーはちらりと時計を見た。
まだ、アンジェリークの所に向かうには時間が早い。
「予定があるんで長くは付き合えないが、2時間くらいなら構わないぜ」
じゃあさっそくお邪魔するよ、と夢の守護聖は慣れた様子でドアをくぐり、さっさと奥の居間へと歩を進めた。

こいつがこうやっていい酒を持って突然あらわれる時は、大抵何か裏がある。
自分が何か辛い事があって飲みたいのか、それとも俺の心の中の暗い何かを察し、付き合ってやるからどうにかしなよと思っているかのどちらかだ。
───こいつの事だから、最近の俺のしている事について、何か勘付いているのかもしれないな…。
まあ何か気付いてるにしても、隠し通せばいいだけの事だ。
オスカーは平静な表情を装ったまま、オリヴィエの後に続いて居間へと向かった。

オリヴィエの話は、他愛のない楽しいものだった。
アンジェリークが女王になってから毎日の執務が楽しくなったとか、『惑星への祝福』は是非また随行したいとか、言ってみれば昼間に話しても構わないような、ごく在り来たりの内容だった。
こいつはこんな話をしに、突然俺の所にやってきたのか?
オリヴィエの話に笑いながら相槌を打ち、ちらりと時計を盗み見る。
(もう少ししたら、出かけたほうが良さそうだな)
そう思った瞬間、オリヴィエの話題が急に核心を突くものに変わった。

「今日さぁ、陛下の『祝福』、同行したのはジュリアスだったよね?」
急に変えられた話題にオスカーは少しどきりとはしたが、そうだな、となんて事はなさそうに返事をし、グラスの中の酒を飲み干す。
「ジュリアスってさ、女王試験中はあんなに陛下に思われてたにも関わらず、全然陛下に関心を持ってなかったじゃない?それが今日は、あの『祝福』の最中にすんごい眩しいものでも見るように熱い目で陛下を見つめてんの。あんたも気付いたでしょ?あんな風に好きだった男に見られちゃったら、陛下だって平静ではいられないよねぇ」

グラスを離したオスカーの表情が、僅かに固まった。
オリヴィエはそれを横目で確認しつつも、構わずさらに話を続けていく。
「聖地に帰ってからもジュリアスったらさ、陛下の手を握りしめて『そなたは素晴らしい』とか何とか、熱く語っちゃってんのよ。少しは陛下のお気持ちも、考えてあげたっていいのにね。まあ、あの朴念仁には女の気持ちをわかれったって無理な話なのかな?」

オスカーは空になったグラスを唇のすぐ前で止めたまま、じっと中の氷を見つめていた。
確かにジュリアス様がアンジェリークを見つめる瞳は、熱のこもった今までにないものだった。
あんな風に好きだった男に見つめられて、彼女は平静でいられるのか?
今日これから俺が彼女の元に行って…彼女は俺に抱かれながら、またあのジュリアス様の瞳を思い出すのだろうか?

心が、引き裂かれるような痛みを感じた。
オスカーはオリヴィエに気付かれないように小さく息を吐き出すと、グラスをテーブルに置いた。
「すまないが、そろそろ出かけなきゃならないんだ。いい酒を飲ませてもらって、楽しかったぜ」
そう言って立ち上がりマントを手に取るオスカーの背中に、オリヴィエが声をかける。

「陛下に会いに行くのかい?」

思わずぎくりと動きが止まった。
だがすぐ、何ごともなかったように動きを再開させ、流れるような手付きでマントを留めつける。
「何の話だ?」
こいつは、俺がアンジェリークの元に通っている事に気付いているのか?
俺達が身体だけの関係を持っている事を、知っているのだろうか。

いやな汗が背中を流れる。
だが、しらを切り通さなければいけない。
この宇宙でもはや誰もが認める偉大なる女王、アンジェリーク。
彼女が肉欲に溺れて守護聖と身体だけの関係を持っているなどという事実は、誰にも知られてはならないのだ。

「よく俺には話が見えてこないが、お前何か勘違いでもしてるんじゃないのか?俺はこれからいつものようにちょっと外界に遊びに行ってくる、それだけの事さ」
オスカーは振り向くと、いつものように口元にだけ笑みを乗せて肩を竦めた。
オリヴィエは既にソファから立ち上がり、帰り支度を始めている。
「まああんたが言いたくないんだったら、別にいいさ。あんたも陛下も最近思いつめたような目をしてるから、気になってたんだけどね」

オリヴィエは襟元に羽の付いたロングコートを羽織ると、軽やかな足取りでドアノブに手をかけた。
ドアを開けながら、本当に今思い付いたとでもいうように、突然オスカーの方に振り返る。
「そういえば、最近陛下はよく赤い薔薇の花を身に付けてるよね?あれを付けてる日の陛下は、とても綺麗だ。あんたもそう思うだろ?」
それだけ言うとオリヴィエは身を返し、ドアの向こう側に消えた。
オスカーはしばらく、そこから動く事が出来なかった。
奴め、一体どこまで気付いているんだ?

オリヴィエは目端が利くし、勘も鋭い。
口も固い男だし、何かを知っていたとしても簡単に口を滑らすような真似はしないだろう。
だが、もし他の連中にも気付かれてしまったら?
クラヴィス様やゼフェルなど、他にも勘のいい人間はこの聖地にはたくさんいる。
オリヴィエが気付いた事を、他の奴らが気付かないという保証はどこにもない。

もし皆に知られたら───その時は、アンジェリークの女王としての権威は地に落ちる。
そしてそれは、──────俺のせいなのか?

オスカーは呆然とした。
彼女を救いたくて、そして彼女の愛が得たくてやっている事が、結果としてアンジェリークの足を引っ張る結果になるかもしれないという事に。

この関係の終焉がすぐ近くまで迫っているという考えたくなかった事実が、目の前で揺れていた。