Hell or Heaven

~第5章・Kiss the planet(2)~


アンジェリークの治める宇宙は、穏やかに、特に大きな問題もなく成長を続けていた。
オスカーとの身体だけの関係も、相変わらずのペースで繰り返されている。
ただ最近のオスカーが部屋に入って来る時の、ひどく暗い瞳の色がアンジェリークには気にかかっていた。
確信がある訳ではないのだが、何となく…彼は、この関係を終えたがっているような気がしてならなかった。

考えてみたら、オスカーはすごく女性に人気がある人なんだし、プレイボーイで沢山の女性と身体の関係を持っていたという噂も聞いた事がある。
私の身体が欲しくて通ってくれているとばかり思っていたけど、彼なら別に危険を犯さなくったって、いくらでも他に欲望を満たせる存在がいるんじゃないかしら?
ううん、それどころか本当に好きな女性が出来たのだとしたら…私の元に通うのは、彼にとって負担になり始めているのかもしれない。

それでも私は、彼を呼ぶ事を止められない。
今日も赤い薔薇を胸に差し、高鳴る胸の内を隠しながら彼の前へと急ぐ。
でも、本当にそれでいいの?
今までオスカーはたくさん私に尽くしてくれた。
彼が離れたがっているなら、もうこの関係を終えてあげたほうがいいんじゃないの?
ジュリアスの事もロザリアの事も心の整理がついたのだと正直に話して、彼を解放してあげるべきなんじゃないのかしら?

アンジェリークは不安に揺れる心を抱えたまま、謁見の間に現われた。
カーテンが開く瞬間に感じる、オスカーの強くて熱い視線。
ああ、いつもの彼だと嬉しく思うのと同時に、その瞳が苦しげな色を孕むのにも気付いてしまう。
オスカーは…私に呼ばれて、苦しいんだろうか?
彼に聞きたかったけど、どうやって聞いたらいいのかわからなかった。

だがオスカーもそれは同じだった。
オリヴィエに気付かれ始めてしまった自分達の関係。
他の人間に気付かれる前に、この関係を止めなければならないと頭ではわかっている。
なのにアンジェリークの胸に赤い薔薇が付いているのを見るだけで、心が燃え立つような喜びを感じてしまう。
ふらふらと誘われるままに彼女の元へと急ぎ、またいつもと同じ身体だけの関係を持つ。
彼女が自分を少しでも求めてくれてるのだと思えば思うほど、その手を離す勇気が出ない。

俺はこんなに弱い人間だったのだろうか?
彼女の手を離すきっかけがなければ行動できないほど、意志の弱い人間だったのか?
いや、そんなはずはない。
俺は強さを司る炎の守護聖だ。
何事も自分で決断して行動していたし、その決断にも自信を持っている。
だが…アンジェリークの事だけは、俺は別人のような弱い自分が心にいるのを否定する事が出来ない。
俺の心の奥底にある卑小で弱い部分。
それを暴く事も、そして癒す事ができるのも、彼女しかいないのだ。

オスカーは暗い瞳のまま、今日も女王の寝室のドアを叩いた。
何も進展していかないこの関係に、半ば絶望を抱きながら。



しかし事態は、意外なところから動き始めた。
それはある朝、王立研究院からロザリアの元に届いた1通の緊急報告書が始まりだった。
書類に目を通すロザリアの顔色が、瞬時に変わる。
ロザリアは書類を掴むように立ち上がると、女王の元へと急いだ。

「陛下、大変です!」
ドアを乱暴に開け放つロザリアに、アンジェリークはいつもと違う何かを感じて不安げな表情のまま立ち上がった。
「どうしたの?そんなに慌てて…いつものロザリアらしくないわよ」
「それより陛下、とにかくこの報告書にすぐ目を通してくださいませ!」
ロザリアの震える手から書類を受け取り、すぐに内容に視線を走らせる。
アンジェリークの見開かれた瞳に、途端に恐怖のような色が浮かぶ。
「…ロザリア、すぐに王立研究院のエルンストを呼んでちょうだい。今、すぐよ!」
ロザリアが頷いて走り去るのを見ながら、アンジェリークは必死で手の震えを抑えるかのように両手を固く胸の前で組み合わせた。

───この新宇宙に初めて起こる、大きな危機───
でも考えてみたら、今までの宇宙でもおそらく何度も似たような危機が繰り返され、その度に時の女王達は必死でその危機を乗り越えてきたのだろう。
アンジェリークはこれから起こるだろう大きなうねりの予感に身を震わせながら、自分の心だけはしっかりしなければと背筋を伸ばし、強く前を見据えた。

エルンストからの説明は、以下のようなものだった。
惑星λ-487、通称『ミラルディ』という名で呼ばれるその大惑星は、旧宇宙から存在する歴史の古い星の一つである。
人口密度、文化、産業、共にかなりの高レベルにあったが、旧宇宙の危機の時にそのダメージを大きく受け、一時は惑星崩壊の寸前までいっていた。
しかし新宇宙に移動した事で崩壊の危機を乗り越え、その高い文明レベルによる復興が進み、表面上は完全に持ち直したように見えた。
だが元々惑星の寿命が迫っていたのが、たまたま新宇宙で豊かなサクリアを受けて持ち直してしまった事で、王立研究院のはじき出したデータに狂いが生じ、今まで誰もそれに気付く事が出来なかったのだ。
惑星は寿命を迎えている。
もう女王のサクリアを集中的に注ぎ込んだところで事態は解決しないところまで追い込まれており、崩壊の時は目の前まで迫っている。

アンジェリークはエルンストからの説明を目を閉じてじっと聞いていたが、報告終了と同時に目を開け、いくつかの短い質問事項を確認した。
「それでは『ミラルディ』の惑星崩壊までの時間は、聖地時間にしてどれくらい残されているの?」
エルンストが神経質そうに眼鏡の縁を何度も触りながら、青ざめた顔を上げた。
「聖地時間にして…1週間と、2時間といったところです」
その短さに、側にいたロザリアの顔色も蒼白になる。

「それではその時間を、現地時間に換算するとどれくらい?」
「主星から比較的遠い惑星ですので、現地では崩壊まで約321日の猶予があります」
アンジェリークはエルンストの答えに考えを巡らせた。
とにかく最優先しなければいけないのは、惑星住民達の命、それを受け入れてくれる移住先の確保だ。
それ程環境に大きな変化がなく、住居や生活の保証ができるところ。
「それでは大至急、周辺惑星に移民受入先があるか確認して。場合によっては、私が直接交渉の場に立ちます」
王立研究院の職員が、慌ててコンピューターに必要事項を入力していく。

「とにかくこちらでは1週間しか時間がないのだから、早急に決定しなければならない案件に関しては、今すぐ審理に入りたいと思います。ロザリア、守護聖に緊急の招集をかけてちょうだい。移民の受入先さえ決まれば、1年近い猶予が現地ではあるのだから、住民達の生命と安全は充分に保証できます。後は細かい、受入先での住居についてや生活保証、職の斡旋、言語の違いを埋める教育環境についてなどを早急にこちらで詰めて、惑星のトップに指示を出さなければなりません」
てきぱきと指示を出していく女王に、皆圧倒されたように指示を仰ぎ、次々と各自の仕事へと没頭していった。
それを確認したアンジェリークは、守護聖達の集められた謁見の間へと足早に向かっていった。

集められた守護聖達にも事情が説明され、皆の表情に緊張が走る。
「とにかくまずは住民達の命を全員無事に救い、安心して移住出来る環境を整えてあげる必要があります。 それから移民達の不安を取り除く心のケアや移住先での文化レベルの違いを埋める専門家など、細かいところまで決定しておく必要があるでしょう。皆には各自担当を割り振りましたので、全力を挙げて取り組んでください。そして最重要事項については、皆の意見を仰ぎながら決定していきたいと思います。いつでも召集されて構わないような心づもりでいてください」
アンジェリークがそこまで言ったところで、謁見の間にエルンストが走り込んできた。
「陛下、受入先の惑星ですが、候補がいくつか挙がりました。ただ惑星によってはトップの政治家達が難色を示しているようです」
「わかったわ。その政治家達とは私かロザリアが直接交渉します。皆、後はよろしくお願いね」
足早に謁見の間から消えていく女王を見送りながら、皆が皆、同じ思いを強く共有していた。
陛下も必死で頑張っておられるのだから、自分達もできる限りの力を尽くし、必ず良い結果をだそう、と。

そして1週間、アンジェリークと守護聖達は皆、寝食を惜しんで事態の解決に取り組んだ。
その成果もあり、移民の受入先も理想的な星に決まり、細かな移民へのケアにいたるまで円滑に決定する事が出来た。
住民達は順次星間シャトルによって移送され、今日、最後のシャトルが出発する手はずとなっていた。

アンジェリークはロザリアを伴い、謁見の間へと向かった。
守護聖達と共に、これから最後の移民シャトルが出発するのを見送る。
取りあえずこれで、民達の命は全て助かるのだ。
もちろんこれからも移住先で起こるであろう様々な問題を見守り、解決に向けて努力していかなければならないが、一番気にかかっていた『生命の救出』がこれで完了するのだと思うと、久しぶりに心が軽くなるような開放感があった。
謁見の間には既に守護聖達が全員集まり、頭上のスクリーンに映る画像を食い入るように見つめている。
女王と補佐官の入って来る気配に、皆振り返ったが…その顔は、なぜか一様に血の気が感じられなかった。

「?みんな、どうしたの?移送は順調に進んでるんでしょ?」
アンジェリークはそう言いながらスクリーンを見上げた。
シャトルの発着場では巨大な星間シャトルがドアを開け、タラップから多数の民が乗り込む姿を映している。
特に問題は感じられなかったが、皆の白い表情が気になった。
「陛下…実は、問題が起きたのです」
ジュリアスが青ざめた顔で近付いてくる。
「問題?」
アンジェリークの胸に、何か嫌な予感が走る。

ジュリアスはスクリーンの端に映る、数千人程の集団を指差した。
「あちらの民達が、移住を拒否し、この惑星に残ると宣言したのです」
「!何ですって!!」
アンジェリークの顔からも、あっという間に血の気が引いていく。
「どうして、一体なぜ…」
その言葉に、王立研究院の職員が先程映し出された映像のリプレイを流し始める。

係員の誘導に従い、黙々とシャトルに乗り込む移民達の列。
そこから突然、老人達の集団が列から外れていく。
係員が慌てて列に戻るように指示するが、老人達は穏やかに微笑んだまま首を振った。
「我々は、皆連れ合いに先立たれた孤独な老人ばかりです。新しい星に移って新しい人生を作り直す気力もすでにないし、生まれ育ったこの星で、ここで死んだ家族と共に、一緒に眠りたいのです。どうか、私達のわがままをわかってください…」
そう言ったまま頑として動かない老人達。
シャトルの出発時刻まで余裕がない係員達は、取りあえず他の移民達を先に乗せ、この事態の指示を聖地へと仰いでいるところだった。

「あと30分でシャトルは出発時刻を迎えます。その後すぐ、この星の崩壊の序章が始まるのです。地震が起き、地下のマグマが吹き出して溶岩となって地表に降り注ぎます。およそ6時間後には、この場所も跡形も無くなってしまうでしょう。シャトルの乗組員は、女王陛下の御指示を待っています。陛下、御決断を!!」
エルンストの声に、アンジェリークは息を飲んだ。
一刻の猶予もない。
今すぐ、決断を下さなければならない。

あの老人達を説得してシャトルに乗せる?
でももし説得に失敗し、無駄に時間を長引かせてしまったら、シャトルに乗る無関係の民達が巻き添えになる危険がある。
それじゃあ王立派遣軍に出動させ、無理矢理拘束してでもシャトルに乗せるべき?
ううん…そんな事をしても、あの人達は幸せではないだろう。

無言のアンジェリークを、皆が息を詰めて見守っている。
アンジェリークは顔を上げると、守護聖達の顔を見渡した。
「みんな、よく聞いて…。私は今、大きな決断を強いられています。自分の中では心が決まっていますが、本当にこれで正しいのか、自信が…ないんです。皆の助言を、必要としてるんです…」
そう言うとアンジェリークは一旦言葉を切り、大きく息を吐き出した。
女王の緊張が、皆にも伝染したように伝わっていく。
「私は…あの人達の気持ちを、尊重してあげたいと思っています。彼らがあの星で命を終えたいと決断したのであれば、強制的に連行する必要はないと思っています。ですから、シャトルは定時に出発するよう指示を出したい…何の関係もない命までも巻き添えにする危険は、冒したくないのです…」

女王の言葉に皆が重苦しい表情を浮かべながらも、一様に賛同の意志を示した。
「陛下のおっしゃる事が、最善だと思われる」
ジュリアスに続き、全員が同様の言葉を述べていく。

アンジェリークはこの時程、『開かれた女王制』を敷いていて良かったと思った事はなかった。
今までの女王達は、全て一人で苦渋の決断をしてきたのだろう。
そしてそれは、本当に正しかったのか?と終わりのない自問自答に苦しめられる。
少なくとも私は、こうしてみんなが一緒に考え、力になってくれているのだ。
辛い決断も、そう思えばくだしていく事ができる。

アンジェリークは職員達に、自分の決断を指示として伝えた。
職員達が慌ただしくシャトルと連絡を取り合い、やがて定時にはシャトルの扉は静かに閉まった。
老人達の集団を残し、シャトルは惑星から飛び立っていく。



アンジェリークは泣きそうな自分を心で叱咤した。
まだ泣くべき時ではない、もう少し頑張るのよ、アンジェリーク!!
シャトルが飛び立つのを確認すると、皆の方に再び向き直る。

「みんな、良く聞いて。私はこれからすぐにあの惑星…『ミラルディ』へと、向かいたいと思っています」
一斉に起こるざわめき。
ジュリアスが慌てて女王の側へ駆け寄る。
「陛下、なりません!あの星はこれからすぐ崩壊が始まるのです。そんな危険な場所に、一体どうして向かおうと言うのですか?」

アンジェリークは、小さく微笑んだ。
慈愛を含んだ聖母のような眼差しに、周りにいる守護聖達のざわめきが止まる。
「私はこれから、あの星の命を…私の手で、止めようと思っています。これからあの人達が地獄絵図のような光景の中で苦しみ抜いて死んでいくのを見るくらいなら、私が自分で、静かに命を終わらせてあげたいのです」
「しかし…」
ジュリアスもそれ以上言葉はなかった。
女王が自らの手で、星の命を止める。
それは確かに残された人間達に苦しみを与えずに済む最良の策ではあったが、人の命を自らの手で『奪う』のだ。
そんな事が、この心優しくまだ年若い陛下にできるのか?

「では陛下、俺をお連れください」
オスカーの声に、アンジェリークが思わず振り向く。
「崩壊寸前の惑星では、どんな危険が待ち受けているかわかりません。万が一の時は、このオスカーが命に代えても陛下をお護りしてみせます。どうか俺を、同行させてください」
オスカーの強い視線に、アンジェリークは笑顔を返した。

「ありがとう、オスカー。私もあなたと一緒なら、心強いわ」
もはや誰も、女王を止める者はいなかった。
二人は一刻の猶予もない惑星へ向かうべく、金のバリアに包まれて次元回廊を抜けた。

これから死に包まれるの待つだけの、惑星へと向かって。