Hell or Heaven

~第6章・Behind closed eyes(2)~


アンジェリークはオスカーの執務室の前まで辿り着くと、護衛達にはドアの外で待つよう指示を出した。
深呼吸をひとつして、高鳴る胸の内を落ち着かせてからドアを見上げる。
───そう言えば女王候補の頃、ジュリアスの執務室の前でもいつもこうやって緊張してたっけ───
あんまり成長してないなあ、とクスッと小さく思い出し笑いをして、弾む心に任せてドアをノックした。

「どうぞ」
中から声がしたが、それは女性の声だった。
「?」
不思議に思いながらドアを開けると、中には見覚えのある女性達が3人、オスカーの執務机の横に立っていた。
「まあ、女王陛下!」
女性達は慌てたように頭を下げ、深い礼の姿勢を取る。

そうだ…この人達は、確か女王試験の時にも見かけた事がある。
オスカーの私設秘書官の人達だ。
他の守護聖の秘書官は男性ばかりだったのに、オスカーだけが女性、それも物凄い絶世の美女ばかりをずらりと揃えていて、執務室に行く度に圧倒されてたのを思い出した。

「あ、そんなにかしこまらなくてもいいのよ。顔を上げて頂戴。えーと、お久しぶり…よね?」
女王の気さくな声に女性達は恐る恐る顔を上げ、次いで興奮したように喜びに顔を紅潮させる。
「覚えていただきまして、光栄です。陛下もお元気そうで、何よりですわ」
アンジェリークは笑顔でそれに答えると、その場に見えないオスカーの所在を尋ねてみた。
「…オスカーに用があってきたんだけど、外出中かしら?」
「ええ、今日はオスカー様は朝からずっと忙しく動き回られてまして。何か御用件がありましたら、私どもが伺いますが…」
アンジェリークは両手を顔の前でぶんぶんと振って、その申し出を断った。
「あ、いいのよ、直接聞きたい事があったんだけど…帰りは、遅いのかなあ?」
「はい、たぶん執務時間終了まぎわにならないとお戻りにならないかと…」

アンジェリークはしばし考えを巡らせた。
執務終了まで、あと1時間。
自分の抱えている急ぎの仕事はないし、そのくらいなら待っている事は可能だ。
思い立った今こそオスカーに話をしなければ気持ちが萎んでしまうかもしれないから、ここで彼の帰りを待っていたかった。
「じゃあ、そこのソファで待たせてもらうわね。あ、良かったら久しぶりに一緒にお話でもしない?1人でじっと待ってるのもなんだし、オスカーの普段の話とか、いろいろ聞いてみたいわ。ねっ、良かったらソファにかけて!!」
女性達は最初は戸惑いの表情を浮かべていたが、あまりに嬉しそうな女王の笑顔につられたように、「それでは失礼いたします」とアンジェリークの対面に腰を降ろした。

久しぶりの普通の女性との会話は、とても楽しかった。
オスカーの秘書だけあって、皆美しいだけでなく知性も教養もあり、会話も気が効いていて面白い。
女同士で好きな人の話に花を咲かせるのは、スモルニィの女学生時代に戻ったようで、心がワクワクと浮き立った。

「ずっと思ってたんだけど、オスカーの秘書の仕事って女性には大変じゃない?他の守護聖の秘書は全員男性でしょう。どう、オスカーは人使いとか荒くないの?」
女王の率直な質問に、女性達は笑顔で応えた。
「いえ、思ったより大変ではないんですのよ。あの通りオスカー様は行動的で何でも自分でこなされてしまう方ですし、重要な仕事は私達まで回ってくる事もありませんの。私達の仕事は雑用の延長のような物ばかりで、他の守護聖様の秘書達に比べたらむしろ楽なほうですわ」
アンジェリークはふんふんと頷きながら、興味深々といった様子で更に先を促す。
「雑用の延長って、例えばどんな事をするの?」
「そうですわね…オスカー様って、あの通り女性にとっても人気がありますでしょう?毎日沢山贈られてくるラブレターやプレゼントの仕分けとか、デートのお申し込みの調整だとか…考えてみたら私達の仕事って、ファンクラブの会員整理のようなものばかりですわね」
女性達は楽しそうに声を上げて笑ったが、アンジェリークは固い笑みしか返す事が出来なかった。
「…やっぱり、オスカーってそんなにモテるのね…」
「それはもう!あの通り女性に対して誰にでもマメで優しいし、その上あの容姿でしょう?」
「それに口説き上手ですものね。あの瞳でじっと見つめられて耳元で『美しい髪だな…』とか囁くんですもの。あれでは落ちない女性はいませんわ!」
「プレイボーイなんて言われてますけど、恋人と別れ話で揉めたなんて話も聞きませんし、後腐れなく綺麗に別れられるのは女性を大切に扱っている証拠ですわよね」
「毎日一緒にいる私達だって、時折オスカー様に好かれてるんじゃないのかって誤解しそうになっちゃう時がありますもの」

女性達はここぞとばかりにオスカーがいかに素敵で、女性に人気がある存在であるのかを話し始めた。
彼女達に他意はないのはわかっている。
自分達の上司がいかに素晴らしい男性なのか、ただ女王に伝えたいだけなのだろう。
だけど当のアンジェリークは、それを聞いているのが辛かった。

…まるで、自分の事を話されてるみたいだ。
オスカーは女性にだったら誰にでもマメで優しいのに、それを私1人に向けられていると思い込んでいる自分。
あの瞳に見つめられ、耳元で囁かれて簡単に落ちてしまい、すぐに身体を開いてしまう自分。
毎日一緒にいるから、好かれているんじゃないかと勘違いしている自分。
そして…いつか、後腐れなく綺麗に別れられてしまう、自分?
そこまで考えてアンジェリークは耐え切れなくなり、ソファから立ち上がった。
「ごめんなさい!私ったら急ぎの仕事があったのを忘れてたわ。えーと、オスカーにはまた後日伺うから、今日はこれで失礼させていただくわね。いろいろ面白い話が聞けて楽しかったわ、ありがとう」
突然そそくさと立ち去ろうとする女王に、秘書官達は驚いて顔を見合わせた。
でも考えてみたら彼女は普通の少女の面影も残してはいるが、何といってもこの宇宙の全てを支える偉大なる女王陛下なのだから。
多忙で当然だし、こんなところで自分達と世間話をしているほうがよっぽど不思議だと思い直した。

女王が立ち去って30分程の後、オスカーが執務室へと戻ってきた。
秘書達から女王陛下が来ていた事、そしてオスカーを待っていたのだが突然用事が出来て帰ったのを知らされて、一体彼女が何の用事でここに来たのかがオスカーにはひどく気にかかった。
何か…とても大事な事を言いに来たのではないかという気がする。
だが今日はもう、執務も終わりだ。
どうせ後で彼女の部屋に行くのだから、その時にでも聞いてみるか───
オスカーは軽い気持ちでそう思い直した。



アンジェリークは自室に戻り、一人静かにソファに腰掛けてぼんやりと宙を見つめていた。
さっきの会話が、頭にこびり付いて離れない。
オスカーがいかに女性に人気がある存在で、沢山の女性と付き合ってはすぐに別れているという話は、女王候補時代にも散々聞いた記憶がある。
プレイボーイで危ない存在だから、近付くなと警告してくれた守護聖もいた。
でも、あの時の私はそんな事は気にもならなかった。
オスカーは兄のように信頼できる存在だから、私に危ない事などするはずがないと信じていたし、沢山の女性と遊んでいようが、私には関係ない話とまで思っていた。

だけど、今───あの時と同じような話を聞いただけなのに、私はいたたまれない気分になってあの場から逃げ出す事しか出来なかった。
彼は毎日のように私の元へと通ってくれてはいるけれど…元々が女性にマメで優しい人なのだから、私だけが別段特別な訳じゃなかったのかもしれない。
今だって、その気になれば昼間に他の女性とデートくらいできるだろう。
そして…いつか彼は私よりずっと大切な人が出来て、後腐れなくさらりと別れを告げられてしまう日が来るかもしれないのだ。

今、オスカーに別れを告げられたら───そう思うだけで、心臓を銃弾で撃ち抜かれてしまったような痛みが走り、瞬時に息が止まるような感覚が襲ってくる。
さっきまでオスカーの気持ちを確かめてみようと前向きな気持ちになっていたはずなのに、もう今はそんな勇気など微塵も残っていない。
だってもしそんな事を聞いて、彼がこの関係を続ける事を重荷に感じ始めたら…すぐにでも、あっさりと別れを告げられてしまうかもしれないのだから。

その時がきたら、オスカーは一体どんな顔をして、どんな言葉で私に別れを告げるんだろう?
優しく微笑んで?それともすこし悲しそうな顔を作って?
はっきりと、他に好きな女性が出来たと聞かされて?それとも、優しい嘘をつくの?
ああ、そんなのいや。
どんな形であろうとも、オスカーに別れを切り出されるなんて耐えられない。

だからと言ってこのままの関係をずるずると続けていたって、いつか終わりの時は来る。
ならば私から…この関係を終わりにしたいと言ってしまうほうが、よっぽどすっきりするのではないかしら?
彼の口からそれを聞かされてしまう日が来るのを怯えながら待ち続けるよりも、その方がずっと傷が浅くて済む。
そうだ、少し前の彼は…私の部屋に来る時、ひどく暗い目をしていた時があった。
あれは、私との関係を終わりにしたい何かがあったのかもしれない。
他に誰か好きな女性が出来たのか、それとも危険な秘密の逢瀬をもう終わりにしたかったのか───
それがあの、『惑星崩壊』の一件で言い出せなくなってしまったのだろう。
そうよ彼はずっと、危険を顧みずに私を救い続けてくれていた。
ならば今度は私が、オスカーを解放してあげる番なんじゃないの?

ノックの音が、部屋に響き渡った。
オスカーだ。彼が来た…!
いつもならただ純粋に嬉しいはずのその響きが、何故だか今日に限ってはひどく暗く、重苦しい音にしか聞こえてこない。

ドアを開けると、オスカーは部屋に入ってくるなりアンジェリークを強く抱きしめた。
一瞬で視界が彼の広い胸だけで占められ、鼻腔を微かなコロンの香りがくすぐっていく。
いつものオスカーの香り。
少しスパイシーで、ベッドにはいつもウッディな残り香がある。
息をするだけで肺がその香りで満たされて、心臓が高鳴り、呼吸が苦しくなっていく。

「どうした?今日は俺の執務室に来てくれたそうだが…。何か、相談したい事でもあったのか?」
オスカーはアンジェリークの頬に両手をかけて上向かせると、穏やかに尋ねた。
その薄青の瞳は、アンジェリークの表情の僅かな変化も見逃さないかのようにじっと見つめている。
強くて優しい、いつも私を見守ってくれる、この瞳。
できる事なら、失いたくない。
でも、いつかこの瞳が他の女性を見つめる日が来るのなら。
私は今、自分から瞳を閉じてしまったほうがよっぽど楽になれるんだ───

アンジェリークはごくりと唾を飲み込んだ。
「オスカー…」
声が、震えてしまう。
でも、言わなければならない。
今言わなければ、いつか───彼のほうから、告げられてしまうだけなんだから。
「私達、もう…この関係を、終わりにしましょう」

その瞬間、オスカーの動きが止まったように見えた。