Hell or Heaven

~第8章・Open eyes(1)~


目覚めた時、そこは女王の私室のベッドの上だった。
重い闇に覆われているのに、何故だかひどく心地よく感じてうとうとと目を開ける。
良く見ると目の前にあるのはオスカーの黒いシャツに包まれた広い胸だと気がついた。
今はオスカーの逞しい腕にくるまれて、寄り添うようにぴったりと身体を寄せて抱きしめられている。

「起きたか?」
オスカーの声にびっくりして頭を起こし、周りをきょろきょろ見回す。
窓の外は薄暗く、空には既に星が瞬いている。
「あ、あれ?なんで私、こんなところに…」
(確か…オスカーに自分の気持ちを告白して、それからオスカーも私を愛してるって言ってくれて…えーと、それからどうしたんだっけ?)
すっごく嬉しかったのは覚えてるのに、その後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。
その姿にオスカーはくっくっとおかしそうに笑い声を上げながら、腕を伸ばしてベッドサイドの灯りを小さくつけた。

「ロザリアに聞いたんだが、前の晩一睡もしてなかったんだってな?いきなり俺の腕の中で立ったまますーすー可愛らしい寝息をたててるもんだから、さすがの俺も心底驚いたぜ」
その言葉に、アンジェリークの記憶が一瞬のうちに蘇る。
(そういえば私、オスカーの笑顔を見たら急に安心しちゃって…。え?も、もしかして、あのまま寝ちゃったのーっ?!)
あまりの恥ずかしさに、顔に一気に血が昇ってくるのがわかる。
「ご…ごめんなさい、オスカー…。私ったら、あんな大切な場面で…自分でも信じられない〜!!」
小さく身体を縮こませ、頬を真っ赤に染めて恥ずかしそうにオスカーを見上げるアンジェリークを、オスカーは楽しそうに笑いながらもう一度ぎゅっと抱きしめ直した。
「夕べは俺が来なかったんで、寝ないで待っててくれたんだろう?それは俺にも責任がある事だしな。それより、まだ疲れているだろうからもう少し寝たほうがいい」
そう言ってもう一度灯りを消そうとしたオスカーの手を、慌てて掴んだ。

「どうした?」
優しく微笑むオスカーに、アンジェリークはおずおずと話しかける。
「あのね…今の話を聞いたら、恥ずかしさで一気に目が覚めちゃったの。だから…もしオスカーが疲れてなかったら、少しこのまま話がしたいなあ、って…ダメ?」
上目遣いで尋ねてくるアンジェリークに、オスカーはうーんと考えるような仕種をしてから、小さく頷いた。
「それじゃあ、少しだけだぞ。変な時間に起きると、また明日が辛いからな」
「うん、ありがとう、オスカー!えっと、じゃあカプチーノでも飲む?」
立ち上がろうとするアンジェリークの身体を、オスカーが慌てたように抱きしめてベッドに戻す。
「おいおい、カプチーノなんか飲んだら余計眠れなくなっちゃうだろう?」
アンジェリークはオスカーの腕の中で少し不満そうにぷぅっと頬を膨らませて、恨めしそうにオスカーを見上げる。
「ええ~。だってもう目が覚めちゃったから、しばらくは眠れそうにないもん。せっかくオスカーと気持ちが通じ合ったのに、寝てばっかりなのはつまんないでしょ?どうせならゆっくりいろんな事を、話したいんだもの!」
まるで女王候補時代に戻ったかのように、駄々をこねて甘えてくるアンジェリークが可愛くて、オスカーの方がついつい先に降参してしまう。
「わかったわかった。じゃあ俺が飲み物を持ってくるから、せめて君は横になっててくれ」
オスカーが立ち上がり、部屋に備え付けられた小さなカウンターから手際良く飲み物を用意して持って来てくれる。

「じゃあ俺はせっかくだからブランデーでもいただこう。君はホットミルクでいいだろう?」
カップを受け取りながら、アンジェリークはほんのちょっとだけ不満そうな顔をしてみせる。
「そりゃあ私はホットミルクが好きだけど…でもオスカーと、ちょっと差が有り過ぎじゃないの?」
そう言ってオスカーの傍らのサイドテーブルからブランデーの瓶を素早く掴むと、オスカーが止める間も無く自分のミルクにブランデーを少し注ぐ。
「おいおい、大丈夫なのか?」
まるで子供の心配でもしているかのようなオスカーの表情に、アンジェは少し悔しくなってべーーっと舌を出してみせた。
「少しだったら私だってお酒くらい飲めるのよ!いつまでも『お嬢ちゃん』じゃないんですからね!」

オスカーは少し呆れたような表情を浮かべながら、「そんなところがまだ『お嬢ちゃん』なんじゃないか」と言いながら突然その顔をアンジェリークの目の前まで近付けた。
そのまま差し出されたアンジェの舌を自分の舌でペロリ、と小さく舐め上げる。
「きゃっ!」
途端に真っ赤になったアンジェリークの頭に手を回して動けないようにしっかりと固定すると、唇が触れあう程の至近距離でその緑の瞳をじっと見つめたまま、ニヤリと笑った。
「だが、女王候補だった頃からそう言う所が可愛くてしょうがなかったんだよな」

オスカーの澄み切った瞳にじっと見つめられながら彼の吐息を間近で感じ、アンジェリークは頭の芯がクラクラとして、目眩を起こしたような気分になってしまう。
無意識のうちにふらりと身体が動き、誘われるように自分からそろりと唇を重ねていく。
オスカーの唇が小さく笑うような形になり、その後すぐに深い口づけがかえってくる。
ブランデーの香りが仄かにする彼の舌がゆっくりと口の中を動き回る感触に、うっとりと身を任せながら自分も舌を絡め返す。
力の抜けた手からミルクのカップが滑り落ちそうになり、オスカーがそっと受け止めてベッドサイドに置いた事さえ気付かないくらいに、甘やかなキスに酔ってしまう。

そうして長い、長いキスを交しあった後、ようやくオスカーの方から名残惜しそうに唇を離した。
「ぁん………」
なんだか唇を離してしまうのが寂しくて、アンジェリークは思わず小さく声を洩らした。
もう瞼がとろんと重く感じて、身体中の力が抜けてしまったかのよう。

「そんな目で見て俺を誘惑しないでくれよ。ロザリアに散々釘を刺されたって言うのに、我慢できなくなるだろう?」
「えっ?…ロザリアに何か言われたの?」
驚いて顔を上げると、オスカーはその瞳に熱い欲望の炎を燻らせたまま、苦笑いを浮かべた。
「ああ、君が俺の腕の中で眠ってしまった後、ロザリアが上手く計らってくれて、ここで二人きりにさせてくれたんだが…『陛下は夕べ一睡もされてなくてお疲れなんですから、もし目覚めてもこれ以上疲れさせるような真似は慎んでくださいませね』ってしっかり念を押されちまったんだ。まあ、彼女もジュリアス様の奥方としてだいぶ時を重ねてきたから、その辺は全部お見通しなんだろう」

「ロ、ロザリアったら…」
アンジェリークの心に、急に恥ずかしさが込み上げてくる。
以前ジュリアスとの『初夜』の話をした時は、まだロザリアはそんな話をするどころか、恥ずかしそうに怒りだしてたくらいなのに。
でも、それだけ私もロザリアも大人になったんだ。
女王候補時代のまだ幼かった恋から、二人とも『本当の愛』を見つけて…。

「あれ?そう言えば、ジュリアスはどうしたの?私ったら一方的にジュリアスに自分の昔の思いを告白して、そのままにしちゃったけど…困ったりしてなかった?」
ようやく今になってジュリアスの事を考える余裕が出来たけど、考えてみたらかなり恥ずかしくて強引な告白をしちゃった気がする。
あの時は必死だったから、恥ずかしいとか考えてる暇もなかったけど。

「そうだな…ジュリアス様は、君に対してどうこうは一言もおっしゃらなかったな。女王と守護聖の恋愛に関しても全く不問だった。昔のあの方だったら反対したかもしれんが、女王候補だったロザリアと結婚した事で、ジュリアス様の中でも恋愛に関する考え方が変わられたんだろう。だが俺の事は怒ってらしてな、ちょっと絞られたぞ」
「えええっ?なな、何でオスカーを?」
「俺が君への思いを隠していた事を、だ。『女王試験の最中であっても、なぜ私に一言相談しなかったのだ。そなたが私を信頼して相談してくれれば、私1人がロザリアに思いを打ち明けるような真似はしなかった。結局私のした事が、そなたと陛下を一番苦しめてしまったのではないか』とおっしゃられてな。今思えば確かに、ジュリアス様に相談するべきだったのかもしれなかったんだが…あの頃の俺は、君の目がジュリアス様しか見ていない事にひどく嫉妬してたんだ。だから、冷静に物事を考えられなかったのかもしれないな」

その言葉に、アンジェリークは驚きを隠せなかった。
(私が親友のロザリアに対して嫉妬心を抱いていたように、オスカーも尊敬するジュリアスにそんな感情を抱いていたの?)
全然気付かなかった、だってそんなそぶり、微塵も感じさせなかったのに。
自分の大切な存在を妬んでしまう苦しさは、私にはよくわかる。
憎みたくないのに憎んでしまう、自分の心の中の一番醜い部分を実感させられてしまう、あの苦しさ。
あんな辛い思いを…オスカーも、ずっと心に抱いて、誰にも話せずに抱え込み続けていたの?

心配そうに見上げるアンジェリークに、オスカーは力強い笑みを返した。
「だが、君がああしてジュリアス様と俺の前で心を打ち明けてくれたお陰で、俺の心は救われたんだ。ずっと心に抱えていた醜い感情も、あの瞬間に全て消え失せた。俺はようやく、ジュリアス様への心からの尊敬を取り戻す事が出来たんだ。こんな全てに対して穏やかな気持ちになれたのは、本当に久しぶりで…そしてそれは、全部君のお陰なんだ。アンジェリーク、君が俺を救ってくれたんだ」

そう言いながら優しく髪を撫でてくれるオスカーの手が、暖かくて気持ちがいい。
彼の穏やかな瞳が、泣きたいくらい心に染み込んでくる。
いっぱいオスカーを傷つけてきた私だけど、ようやくオスカーを救う事が出来たんだ。
嬉しい。勇気を出して告白して本当に良かった…!

そのまま沸き起こる衝動に身を任せてオスカーの胸に顔を埋め、その広い背中に腕を回して精一杯の力で抱きしめた。
「オスカー、愛してる…」
「アンジェリーク、俺もだ、君を愛してる…どれだけこの言葉を伝えたかったか…!」
オスカーの腕も背中に回され、強く抱きしめ返される。
息も出来ないくらいに強く、互いの身体をぴったりと押し付けあっているのに、何故か息苦しさは感じられない。
ううん、むしろひどく心地がいい。
もっともっとくっつきたい。もっときつく抱きしめられたい。
融け合うくらいに強く抱き合って、一つに…なりたい。

オスカーの鼓動が、ひどく早く感じられる。
それともこれは…私の鼓動なんだろうか?
こめかみがどくどくとうるさいくらいに脈打って、心臓が爆発しちゃいそうで…何がなんだかもうよくわからない。
顔を上げると、彼の瞳に欲望の炎が激しく燃えているのがわかって身体が熱くなる。
そのまま青い瞳がすぐ近くまで迫ってきたかと思うと、唇が重ねられてあっという間に激しく深く舌が絡め取られていく。
オスカーの情熱が唇から流れ込んできて、頭の芯が熱く蕩けだしていく。

「ふ…ぅん……っ…………」
キスだけでもう息が上がり始めて頬を薔薇色に上気させるアンジェリークを見て、オスカーは少し困ったような表情で顔を離した。
「参ったな…そんな風にされちまうと、俺も我慢できなくなりそうだ」
そう囁く声も掠れ、息遣いもいつもより少し早くなっている。

オスカーは、私が昨日一睡もしていなかったのは自分のせいだと思って自制してくれているんだろう。
でももう、待ちたくなんかない。待たせたくなんかない。
オスカーも私を求めてくれているんなら、やせ我慢なんかして欲しくない。

アンジェリークは訴えかけるような瞳でオスカーを見つめると、思いきって彼の手をとり、自分の胸に押し当てた。
「アンジェリーク……?」
少し驚いたような表情のオスカーに構わず、アンジェリークは小さく震えながら胸の膨らみに沿ってその手をゆっくりと上下に滑らせた。
彼の手が触れている部分が焼けるように熱く疼き、心臓が口から飛び出そうな気がしてしまう。
「オスカー、私…やっとあなたと心が通じ合って、すごく嬉しい。でも私は欲張りなの。心だけじゃなくて身体も何もかも、早くオスカーと一つになりたい……いっぱい愛しあいたくて、我慢出来ない………!眠るよりも何よりも、今、あなたの心も身体も全部が欲しいの………!!」

大胆な発言だけど、不思議と恥ずかしくはなかった。
ただ、オスカーの全てが欲しい、その思いだけが私を突き動かしていた。

しばらくオスカーはじっと私の瞳を見つめていたけど、急にその唇を片方吊りあげるようにして小さく笑った。
でもその瞳はひどく真剣で、視線は全く笑ってはいない。
「全く、困った女王様だ……せっかく我慢しようと思ってたのに、簡単に俺の決心を覆してくれるんだからな」

次の瞬間、あっという間に身体がシーツに横たえられ、オスカーが私の上に覆い被さっていた。
そのままゆっくりと、優しいキスが唇に降りてくる。
「悪いがこうなったら、すぐには寝かしてやれないかもしれないぞ?」

軽く唇を離してそう言うオスカーの頭を、私は微笑みながら両手でもう一度引き寄せた。
「大丈夫……私も、すぐに寝たくなんかないもの」

その言葉にオスカーが嬉しそうに微笑んだ。
二人は再び甘い昂りの赴くままに唇を触れあわせると、熱い欲望の鎖に巻き付けられたように互いの身体を絡めあいながらシーツの海に身を投げだした。