Sweet company

4. Love Trap ? (4)

ドアの鍵が、かちりと音を立てて外れる。
でもアンジェリークはまだ、ドアを開ける勇気が出なかった。

オスカーの考えてる事が、わからない。
なぜ彼は、ここに残るなんて言い出したの?
私の恋人とこんなところではち合わせたら、誤解されて面倒に巻き込まれちゃうかもしれないのに。

まあ別におかしな事をしてた訳じゃないし、下手な嘘をつくより堂々としていろ、って事なのかもしれないけど。
でも…もう過ぎた事とは言え、私とオスカーは一度『おかしな事』をしちゃった仲でもある訳で。
何かのはずみにバレてしまったら、案外と嫉妬深いジョッシュの事だ、黙ってるはずがない。
ああーん、でもいつまでもドアを開けないのも、もっと変よね?

もう、こうなったらオスカーを信じよう。
たった数週間しか彼を知らないけど、思いつきで馬鹿な真似をするような人じゃないのはわかってる。
わざと女性を困らせるような真似なんて、絶対しない人だっていう事も。
オスカーが残るといったからには、きっと彼なりの考えがあるに違いない。

えーい、ぐずぐず考えててもしょうがない。なるようになれ、だわ!
アンジェリークは覚悟を決めてノブを回し、思いきってドアを開けた。

「アンジェ、久しぶりだね!会いたかったよ!!」
ドアが開くなり、ジョッシュがアンジェリークに抱きついてくる。
そのままキスされそうになり、アンジェは思わず反射的に顔を背けてしまった。
(あっ、どうしよう…私からキスを拒んだ事なんて、今まで一度もなかったのに!)
後ろにいるオスカーの存在に気を取られ、ついついジョッシュのキスを避けてしまった。
これじゃあますます、誤解を招くだけじゃないの!

でもジョッシュはそんな事は一向に構わず、そのまま横を向いたアンジェの頬にキスし、甘えん坊の子供のように自分の頬を擦り寄せてきた。
「遠く離れちゃってなかなか会えないし、アンジェは全然連絡してくれないし、寂しかったよ!」
そう言ってアンジェの瞳を覗き込もうとして、そこで初めて彼女の視線が後ろに泳いでいるのに気づいた。
その視線の先を辿っていくと、壁際に背の高い赤毛の男が腕組みし、こちらを見て笑っているではないか。

「お、お前は誰だ?なんで、アンジェの部屋にいるんだよ!?」
敵意を全身から剥き出しにして声を荒げるジョッシュに、アンジェリークは青ざめた。
しかしオスカーは焦るそぶりも見せず、むしろのんびりとさえ構えている。
「俺は彼女の会社で、縁があって同じ仕事に関わっている者だ。彼女の新居探しや引っ越しの手伝いも、仕事のうちなんでな。君はアンジェリークの同郷の恋人なんだろう?彼女からいろいろ話は聞いてるよ」

淡々と事実を告げるオスカーに、アンジェリークもホッとしながら、慌てて2人を紹介しあった。
「そ、そうなの。彼は同僚のオスカーさん、こちらは私の恋人のジョッシュよ」
「よろしく、ジョッシュ。こんな可愛い彼女がいて、うらやましい限りだな」
オスカーは余裕たっぷりにジョッシュの前まで歩み寄ると、ゆったりと右手を差し出した。

ジョッシュはしばらく差し出された手を見つめ、握手すべきか迷っていた。
だがアンジェが自分を恋人と紹介した事に納得したのだろう、ようやく渋々と、自分も右手を差し出した。
でもやっぱり、内心では面白いはずがない。

ずっと会えなかった恋人の部屋にやっと来れたと思ったら、見知らぬ男がいる。
それだけでも充分頭にくるシチュエーションなのに、相手の男がえらく男前と来てる。
地元では自分より上のランクの男など滅多に見かけなかったが、このオスカーと言う男は…悔しいが、自分より数段上と認めざるを得ない。

堂々としているところを見ると、確かにアンジェリークとは特別な関係にある訳ではないのだろう。
だけどこの余裕綽々な雰囲気が、こちらの神経を逆撫でる。
自分が見上げるほどの大男なのも、気に入らない。
なんだかこっちが見下されているようで、ひどく不愉快だ。
何もかもが気に食わない上に、恋する男だけが持つ直感が、この赤毛の男はアンジェリークを狙っているに違いない、気をつけろと警告していた。

ジョッシュは上目遣いで相手をちらりと睨み付けたが、オスカーは落ち着いた笑みを返すだけだ。
それもやっぱり小馬鹿にされているようで、全くもって気に入らない。
こんな奴に負けてたまるか、僕はアンジェリークの恋人なんだぞ!

目にもの見せてやろうと、ジョッシュは相手の差し出した手に自分の手のひらを重ねた。
そのまま軽く握手すると見せかけて、思いきり手に力を込める。
フットボールで鍛えた握力なら、誰にも負けない自信があった。
予定ではすぐに相手の顔が青ざめるはずだった。

だがオスカーは顔色1つ変えない。
それどころか、まるでジョッシュのやる事などお見通しだとでも言うように、口の端を軽く上げて笑顔で応戦する。
次の瞬間、ジョッシュは自分の手に強い圧力を感じて、思わず小さなうめき声を洩らした。
「うっ…!」

オスカーが、ジョッシュの倍はあろうかという力で手を握り返してきたのだ。
骨が砕けそうな痛みに耐えかね、ジョッシュは慌てて手を離した。
握られた部分が骨までじんじん響き、額には早くも脂汗が滲んでいる。
ジョッシュはアンジェリークに気付かれないように右手を小さくジーンズの後ろで擦ると、悔し紛れに大声を上げた。

「と、とにかく!会社の同僚だろうがなんだろうが、一人暮らしの女性の家に上がり込むには時間が遅すぎるだろ。もう帰ってくれよ!」
オスカーに言いたい事を言うと、アンジェのほうへと向き直る。
「僕、急に思い立って来たからホテルとか予約してないんだ。もちろんここに泊めてくれるだろ?明日は日曜日だし、一緒に観光でもしようよ」

アンジェリークは困ったように眉根を寄せた。
ジョッシュをここに泊めてしまったら、当然のように身体を求められてしまうだろう。
でも彼と、セックスをしたくない。
それどころか、たとえ何もしなくても泊まって欲しくないとさえ感じてる。
さっきまでオスカーには帰って欲しくないと思っていたのに、遠くからわざわざ来てくれた恋人が泊まるのを、憂鬱に感じるなんて!
でもひどいかもしれないけど、まさにこれが今の自分の正直な本心だった。

「ジョッシュ、わざわざ遠くから来てくれたのに申し訳ないんだけど、今日は本当に疲れてるのよ。せめて事前に連絡をくれればもう少し考える事も出来たんだけど、今日はもうゆっくり休みたいの」
「だから、この人が帰ったら二人ですぐ休もうよ!久しぶりなんだし、いろいろ話したい事もあるんだよ!」

少し乱暴な物言いになり始めたジョッシュに、オスカーはしょうがないやつだとでも言うように肩をすくめた。
「彼女は朝早くから荷解きしたり掃除したり買い物したりで、本当に疲れてるんだ。新居で精神的にも緊張してるだろうし、少しゆっくりさせてやれ。彼女の恋人だったら、まず第一に彼女の事を考えてやるのが当たり前だろう、坊や?」

オスカーはそう言うと素早くジョッシュの襟首の後ろを掴み、子供を扱うように軽々と玄関先までジョッシュを追いやった。
その扱いに、カッとなったジョッシュが肩を怒りに震わせる。
「そ、そりゃあ僕だってアンジェが疲れてるんなら、無理にとは言わないよ。でもホテルがないんだから、仕方ないじゃないか!今日は車で来た訳じゃないから、泊まる所がなかったら野宿になっちゃうんだよ!」

子供のような言い草のジョッシュに、オスカーは呆れたように溜息をついた。
「しょうがないな、ちょっと待ってろ」
オスカーはポケットから携帯電話を取り出すと、素早く番号をプッシュした。
「もしもし、スモルニィ社のカークランドだ。急ですまないんだが、今から泊まれる部屋を用意できるか?…ああ、ありがとう。じゃあ15分後に行く」
オスカーは電話を切ると、ジョッシュのほうに向き直った。
「俺の取り引き関係のホテルが、部屋を押さえてくれた。超高級とはいかないが、観光客にも人気のあるいいところだぞ。そこに泊まって、明日また彼女を誘いに来ればいい」

言い返せずに顔を赤らめて怒りを押し殺すジョッシュを連れ、オスカーは悠々と部屋を出ていった。
「じゃあお嬢ちゃん、俺はまた週明けに」
アンジェはハッとして、慌てて自分も部屋を出た。
「あの、下まで送ります!」
いいのに、と目線で伝えてくるオスカーに、アンジェはすまなそうに謝罪の表情を浮かべた。


アパートを出ると、オスカーはすぐに通りを流しているタクシーを掴まえた。
ドアが開くと同時にジョッシュをタクシーの後部座席に押し込み、運転手にホテルの名を告げてドアを閉める。
「い、いきなり何するんだよっ!」
窓からジョッシュが抗議の声を上げたが、オスカーは取り合わなかった。
「おや、もしかして俺の車で送って欲しかったのかな?ホテルくらい、1人で行ける年齢だろうと思ったんだが」
からかうように笑われて、ジョッシュはぐっと言葉に詰まる。
それ以上抗議する隙も与えないうちに、タクシーはさっさとその場から立ち去っていく。
オスカーはそれを見届けてから、自分の車へと向かった。

オスカーの横に並んで歩きながら、アンジェリークは申し訳無さそうに俯いた。
「あの、オスカー…ごめんなさい、何だか変な事に巻きこんじゃって…」
「いいんだ、お嬢ちゃんが疲れてそうだと思ったしな。それに俺も、あいつを泊まらせたくなかったし」
「えっ?」
「いや、なんでもない」

オスカーは車の前で立ち止まると、優しくアンジェリークを見下ろした。
そのまますっと身体を屈め、アンジェリークの頬に小さなキスを落とす。
「おやすみ。明日も誘いたいが、恋人が来てるんじゃしょうがないな。また月曜日に」

キスされた頬を手で押さえながら、顔を赤らめて固まっているアンジェに、オスカーは苦笑した。
「そんなとこで突っ立ってると危ないぞ。ここで見てるから、早くアパートに入れ」
「あ、そ、そうよね!お、おやすみなさいっ!」
ぎくしゃくした動きでアパートの入口に向かうアンジェリークを見届け、オスカーも静かに車を発進させた。

……今後の為に、アンジェリークの恋人とやらを見ておこうと思い立ったのだが、残って正解だったな。
あのまま俺が先に帰っていたら、あの男は強引にここに泊まっていった事だろう。
冗談じゃない、せっかく彼女と楽しい時間を過ごし、いい雰囲気になりかけていたのに。
それを横から奪われたんじゃたまらない。

それにアンジェリークも、間違いなく俺を意識しだしている。
恋人が来たというのに喜びもせず、むしろ迷惑そうにすら見えた。
奴にキスされそうになった時も、俺の存在を気にしてキスを拒んだ。

彼女が俺の手に落ちるのは、もう時間の問題だろう。
俺にしては時間がかかってしまったが、その分あとのお楽しみも大きいってもんだ。
明日はデートの機会を譲ってやるが、次にあの男がこっちにくる時には、そうはいかない。
オスカーはハンドルを軽く指で叩きながら、自分でも気付かないうちに楽しげな笑みを浮かべていた。


アンジェリークはアパートの入口に立ってオスカーの車を見送っていた。
彼にキスされた右頬を、もう一度手でそっと押さえる。

右頬が、燃えるように熱い。
同じようにジョッシュにキスされた左頬は、なんともないのに。

しかも私ったらジョッシュが帰って、ホッとしてる。
オスカーには帰って欲しくないと思ってたくせに、恋人であるジョッシュには帰って欲しいと願ってしまうなんて。
ジョッシュがやってきた時、嬉しいと言う感情が起こるどころか、オスカーとの楽しい時間を奪われたくないとさえ思ってしまった。
結局、オスカーがあそこで残ってくれて、助かったのだ。
オスカーがいなかったら、ジョッシュに無理やり押し切られ、彼を部屋に泊めていたかもしれない。

でも、今の私はジョッシュと一夜を過ごすなんて、とてもじゃないけど考えられない。
だってもう、自分の気持ちに気付いてしまったんだもの。

私は、オスカーが好き。彼に、恋してしまった。

初めて出会った時から惹かれていたけど、あの時は彼の見た目とか、そんな表面的なものだけに惹かれていたんだと思う。
でも、今は違う。そう、ハッキリ断言できる。
私は、彼の全てが好き。見た目も、中身も、まだ見えてない全てのところも。
もっともっと彼を知りたいし、私の事も知って欲しい。
こうしているだけでどんどん気持ちが彼の方に傾いていって、自分でももう止められない。

出会ってからまだ2週間くらいしかたってないのに、私の生活はいまや彼を中心に回ってる。
あんな素敵な人が毎日そばにいてくれたら、恋をしないほうが不思議。
でも一度セックスをしてしまったとはいえ、もう彼は友達になろうと言ってきたというのに。
今さら自分の気持ちに気がついても、もう遅いのかもしれない。

それでも…こんな気持ちのままジョッシュと付き合ってるのは、いい事とは思えない。
せっかく彼は時間を割いて遠いところを会いに来てくれたというのに、私ったら挨拶のキスすら拒んでしまった。
すぐ横にいるオスカーにキスしてるところを見られたくない、そんな事ばかり考えて、ジョッシュの事をなんにも思いやってあげられなかった。
しかも明日、彼が会いに来るのさえ、気が重いと感じてる。

オスカーを好きになってしまった以上、ジョッシュとはちゃんとお別れしなくちゃいけない。
じゃあ、いつそれを言い出せばいいんだろうか?
明日、言うべきなのか----でも、わざわざ遠くまで会いに来てくれた人に、なんの前触れもなくいきなり別れを切り出すなんて、ひどすぎやしないだろうか。
だからといって、彼が帰ってから電話だけで別れ話を済ませるのも、それはそれで気分がスッキリしない。
長く付き合ってきた人だし、楽しい思い出も沢山もらったんだし----やっぱりこちらから出向いて、彼と向き合ってきちんと伝えるのが礼儀なんじゃないのかな?

付き合ったのも初めてなら、別れるなんて経験した事もないし、正直言ってどうすればいいのかもよくわからない。
でも自分なりに誠意を持って話せば、きっとわかってくれるんじゃないだろうか?
こんな考えは、甘いのかもしれないけど。

「ちょっと、ミス、えーと…リモージュさんでしたっけ?」
「は、はいっ?」
突然名前を呼ばれ、アンジェリークは飛び上がった。
声のほうに振り向くと、アパートの入口ドアの横に眼鏡をかけた細身の女性が立っており、じろじろとこちらを値踏みするように眺めている。
「わたくし、このアパートの管理人です。先ほど、リモージュさんの部屋から男性が二人、出ていかれましたよね?不動産会社のほうからミス・リモージュには恋人がいるとは伺っておりましたけど、お二人もいるとは聞いておりません。このアパートは女性専用という事でセキュリティにも大変気を配ってますので、あまり沢山の男性が出入りするようでは困りますよ」
軽蔑するような眼差しを向けられ、アンジェリークは思わず顔を赤らめた。
「あのっ、あの二人は…一人は確かに恋人なんですが、もう一人は…」
「もう一人は?」

ああーん、なんて言ったらいいんだろう。
正直に会社の関係者とか友人だって言えばいいのかもしれないけど、この管理人さんは厳しそうだから、それでも怒られてしまうかもしれない。
アンジェリークはほんの少し考えてから、ようやく口を開いた。

「…あの、もう一人は兄です。引っ越し初日で男手が必要だったので、来てもらったんです」
「あら、そうだったんですか。それなら全然構いませんよ」
管理人の女性はドアの近くに立つガードマンの男性に何やら耳打ちすると、アンジェリークの方に向き直ってにっこりと微笑んだ。
「お兄様でしたら、いつでも来ていただいて構いません。でもこのアパートは、出入りする男性は必ず私か警備員に先に教えておいていただくようにしてもらってますの。じゃああなたのお部屋に今後出入りする可能性のある男性は、今のお二人だけという事でよろしいかしら?」
「は、はい」
咄嗟の事とは言え、兄だなんて大胆な嘘をついてしまった。
二人とも、私には似ても似つかないのに。

「じゃああちらの赤毛の男性が恋人なのね。あんな素敵な方とおつき合いしてるなんて、羨ましいわ。一体どうやって、ああいう人とお知り合いになるの?」
「え、ええっ?」
アンジェリークは真っ赤になって固まってしまった。
どうやら、この人はジョッシュを兄と思ってしまったらしい。まあジョッシュは金髪だから、オスカーよりは似ていると言えなくもないけれど。
でも今さら訂正する事も出来なくて「まあ、その、仕事で知り合って…」と曖昧な笑みでごまかす事しか出来なかった。


翌日、ジョッシュは予告通りアパートまでやってきた。
彼は観光というよりはショッピングがしたかったらしく、シティでも指折りの高級ショッピング街であるシビル・ストリートへと向かった。

ジョッシュは地元では有名なお金持ちの息子だから、買い物もお金に糸目を付けないような所がある。
有名ブランド店でごっそりと洋服や靴を買い、さらにアンジェにもドレスを買ってやると言い出した。
「これなんか、すごく僕の好みだな。アンジェもこういう大きなリボンがついたワンピース、大好きだろ?」
「だめよ、ジョッシュ。こんな高価な物、受け取れないわ」
いくらそう言っても諦めようとしない彼に、アンジェは「実はそういうデザイン、最近好みじゃなくなったの」とまで言わなければならなかった。

それならとジョッシュは、高級宝飾店のウィンドーを指差し、今度は指輪を贈りたいと言ってきた。
「どうせこの仕事が終わったら僕たち、結婚するんだし。ルビーでもダイヤでも、なんでも好きなのを買ってあげるからさ」
「ちょ、ちょっと待って。私達、別に結婚の約束なんかした事なかったはずよ」
「いいじゃないか、もう周りはみんな僕達が結婚すると思ってるんだし。それに僕はね、目の届かないところにアンジェが行っちゃったから、心配でしょうがないんだよ。昨日のオスカーって人だけど、ああいう遊んでそうな男がアンジェのそばをうろちょろしてるなんて、すっごく不安なんだ。指輪をしてれば変な虫が寄ってこないだろうし、僕も安心出来るんだからさ」

ジョッシュは、私の事を縛ろうとしてるんだわ。
アンジェリークは溜息をつくと、断固とした態度で指輪は欲しくないと言い張った。
「とにかく、結婚の約束もしてないんだし、この指輪を買うお金だってあなたのご両親から出てるんでしょう?そんなの、貰ってもちっとも嬉しくないのよ」
その言葉に、ジョッシュは傷付いたような表情を浮かべた。
「アンジェは僕がこんなに何かしてあげたいっていう気持ちを、踏みにじるんだね!もういいよ、今日は帰る」

ジョッシュはぷいっとそっぽを向くと、そのままさっさと一人でタクシーに乗り込んだ。
唖然とするアンジェリークを尻目に、ジョッシュはその場にアンジェを置き去りにして帰ってしまった。


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「じゃあさ、アンジェちゃんはその彼に置いてきぼりを食らったって訳ェ?ずいぶんひどいヤツじゃないの」
スパニッシュ・レストランの一角にあるテーブルで、オリヴィエは肘をついた姿勢で呆れたようにそう言った。

先週ロザリアから話があったオリヴィエとの食材選びに、アンジェリークは同行していた。
ロザリアはパフェのベースに使うヴァニラアイスの良い物を探したいという事で、オリヴィエの見立てで手作りのアイス工房や原材料の生産者を尋ねて回った。
その結果ロザリアは考えていたような物を手に入れられたようだし、思いがけずアンジェリークも自分好みの原材料を手に入れる事が出来た。
そこで帰りに、ちょっと食事していこうという事になったのだ。
しかしそこでの話題は、もっぱらアンジェリークの交際相手の話に終止している。
どうやらロザリアもオリヴィエも、他人をほうっておけない世話焼きタイプのようだった。

「あんたはその恋人と、3年もおつき合いしてきたんでしょう?よくそんな我が儘な男性と一緒にいられたわね」
「うーん、故郷で付き合ってた頃は、こんな事ってなかったのよ。私も彼の言う事に逆らった事なんてなかったし。たぶん初めて私が自分の意見を口にしたから、びっくりしちゃったんだとは思うんだけど…」
「つまりその彼は、今まで自分の思い通りになってた可愛いアンジェちゃんが自立し始めたのが、とーっても気に入らないんだろうね」
「そうなのかなぁ…」
「ま、でもアンジェちゃんもその彼とはきっぱり別れる事にしたんだろう?自分がもう気持ちが残ってないんだったら、そのほうがお互いの為だからいいんじゃない?」
オリヴィエにそう言われ、アンジェも「そうですよね」と小さく頷いた。

「ちょっとわたくし、失礼いたしますわね」
話がキリの良いところで、ロザリアは席を立って化粧室に向かった。
アンジェと二人きりになった途端、オリヴィエが声を少し落として話しかけてきた。
「ねぇところで、オスカーとは一体どうなってるのさ?」
「えっ、オ、オスカー部長ですか?」
「あんた達、毎日のように一緒にいるじゃない。あいつの事だ、あんたにガンガン迫りまくって困らせてるんじゃないのかい?」
アンジェリークはぶんぶんと両手と首を同時に横に振って否定した。
「そんな、オスカーは迫ってくるなんてないですよっ!彼は私に恋人がいるのも知ってるし、ただ友達になりたいだけだって言ってましたし」
「…そんな事、信じちゃってる訳?言っとくけど、あいつは絶対お友達なんかになりたいとは思ってない、賭けてもいいよ。あの男はあんたを狙ってる、それも恋人にしようとしてね」
「う、うそ……」
「ま、あの男の事はどうでもいいんだ。それよりアンジェちゃんは、あいつの事どう思ってるの?」
「どうって…」
アンジェリークは手にしたグラスのサングリアよりも赤い顔をしたまま、しばらく絶句した。

オリヴィエさんって、なんだか不思議な力を持ってる。
見た目の派手さと違って、すごく気がつくし、人を良く見てる。
気さくで人との間に壁を作らないし、でも土足でずかずかと心に踏み込むような人でもない。
この人だったら本音を話しちゃってもいいような、信頼できる感じがすごくする。
「…あの、実は……オスカーの事、好きになっちゃったんです。でも私には恋人がいるし、オスカーには友達になろうって言われちゃったし、どっちにしろあまり望みがなさそうかなって」

オリヴィエはうんうんと頷きながら、にっこりと微笑んだ。
「アンジェちゃんは正直なイイ子だね。ま、とにかくまずはちゃんとその恋人と別れてごらん。そしたらオスカーも動き出すだろうし。なんだったら私が、いろいろと相談にのってあげるよ?」
「え、本当ですか?オリヴィエさんってすっごく話しやすいし頼りになるし、そうしてくれたら嬉しいです!」
「ふふーん、嬉しい事を言ってくれるね。そしたらさ、アンジェも私の恋の相談にのってくれるかい?」
「もちろん!だってロザリアの事でしょう?ロザリアも、なんだかオリヴィエさんの事を気になってる感じはするんですよねー。こんな私で力になれるなら、いつでもどうぞ!」
ロザリアが戻ってくるのを遠目にちらりと確認しながら、オリヴィエは本当に嬉しそうに頷いた。

3人で食事しながら楽しく談笑し、場はかなり盛り上がっていた。
オリヴィエと話している時のロザリアは、少し恥じらい気味でいつもより可愛い感じすらする。
(ロザリアったら、実はオリヴィエさんの事を結構意識してるのね)
二人を交互に観察していると、オリヴィエの携帯電話が鳴りだした。
「誰だろ、この楽しい時間に。ちょっとごめん、失礼するよ」
オリヴィエが立ち上がりながら電話に出る。
「ハーイ、もしもし…ってなんだ、オスカー?」

その名前に、アンジェリークが大きく反応した。
身体ごとオリヴィエのほうを向き、誰が見てもわかるくらい顔を真っ赤に染めている。
しかしオリヴィエは電話を持ったまま、店の外に出てしまった。

「…ちょっとあんた、何をそんなに真っ赤になってますの?」
ロザリアが横目でじろりと睨み、アンジェリークは慌てて前を向くと照れ隠しにサングリアを口にした。
「えへへ。このサングリア、口当たりがいいから酔っぱらっちゃったみたい」
「あらそう?なんだかオリヴィエの携帯から『オスカー』って名前が聞こえたと思いましたけど」
追求の手を緩めないロザリアに、アンジェリークは冷や汗をかきながら再びグラスを口に運んだ。


「ちょっとオスカー、せっかく可愛い女の子達とデートしてるんだから、邪魔しないでくれる?」
電話の向こうのオスカーの声は、明らかに不機嫌だ。
「うるさい、俺だって今日はお嬢ちゃんと出かけたい所があったんだ。仕事が終わったんなら、とっとと帰ってこい」
「い・や・だ・ね。残念だけど、まだしばらくはこっちにいるよ。ちょうど場が盛り上がってきたし、アンジェちゃんからいろいろ彼氏の事やオスカーの事を聞き出してるところなんだよねぇ~」
「なんだと?おい、何を聞き出したんだ?」

オスカーがいつになく焦っているのを感じて、オリヴィエはほくそえんだ。
いつもどんな女と付き合っても、憎たらしいくらい余裕たっぷりでいた男が。
この声を聞くだけで、どれだけオスカーが彼女に振り回されてるかがわかるっていうもんだ。
これはアンジェちゃん、案外大化けするかもよ?

「何をって、いろいろだよ。恋人とのデートはどうなったとか、あんたの事をどう思ってるのかとかね。あの子、イイ子だから何でも正直に話してくれるんだよね~」
「彼女は素直で疑わない性格なんだぞ。お前の口八丁で誘導尋問にかけるのはやめろ」
オスカーの声が不機嫌を通り越して、ついに本気で怒りを帯びてくる。

(人前ではカッコつけのあの男が、本気で怒ってるよ!)
オリヴィエは笑いを噛み殺した。
なかなか握れなかったオスカーの弱味をついに見つけたのだと思うと、楽しくて自然と顔がにやけてしまう。

どうせアンジェちゃんは恋人と別れるって決心したところだし、そしたらすぐにでもオスカーとくっつくだろう事は目に見えてる。
でもオスカーは今はまだその事を知らないんだし、もう少し慌てさせてやろう。
いつも自信満々で何事にも動じないこの男が、オロオロするところを見るのは楽しいじゃないか?

だが、二人のやり取りはそこまでだった。
血相を変えたロザリアが、店の中から飛び出してきたのだから。
「オリヴィエ!大変ですの、すぐに来てくださる?!」
「ど、どうしたのさ、ロザリア」
ただ事でない雰囲気に、オリヴィエも慌てふためいた。

「アンジェリークが、お酒を飲み過ぎてひっくり返ってしまいましたのっ!」