Sweet company

5. Such a Flirt (3)

オスカーの住居は、超高層のいわゆるタワー型マンション。
大都会にすんなり溶け込むような、シャープで直線的な外観が、空を覆い隠すようにそびえ立っている。

オスカーは警備員にパスを見せてゲートをくぐり、奥の車寄せで停車した。
すぐに横で待機していた白地に紺色のブレードのついた制服姿の男性が、さっと車のドアを開けてくれる。
2人が車を降りると、制服姿の男性が代わって運転席に座り込む。
そのまま駐車場のあるスロープへと車を走らせていくのを見て、アンジェリークは目を白黒させた。
普通に人が住むマンションで、駐車専門の運転手が控えているところなど、初めて見たからだ。

ガラス張りのエントランスをくぐると、すぐ右手にはホテルのようにフロントがあり、品の良い制服姿のコンシェルジェが立っている。
オスカーは口元を片方だけ上げる彼独特の微笑で会釈すると、アンジェリークの腰に手を添えながらエレベーターのほうへと促した。

アンジェリークは緊張を紛らわすようにきょろきょろと、広いエントランスホールを見渡した。
床と壁は、磨き抜かれた大理石のグレー。そこに滑らかな黒い革張りのモダンなソファがゆったりと置かれ、彫刻のようなデザインのマットなシルバーのテーブルが、アクセサリーのように美しく配置されている。
ホールの奥正面に飾られている巨大な御影石のオブジェと、その周りを取り囲む人口の池と噴水。
それらの豪華なインテリアに紛れるようにして、そこかしこに据え付けられている防犯カメラが、じっとこちらを見つめている。
ここだけ見ていると、個人が住むマンションと言うよりは、まるで都市型デザイナーズホテルといった趣だ。

オスカーの年でこんな高級マンションに住んでいるなんて、やっぱり彼は成功者に属するんだろう。
でも確かに都会っぽくてお洒落なところだけど、あまり人が住んでいるような生活感や暖かみは感じられない。
妙な緊張感があるし、冷たくて心から寛げないような雰囲気もある。
これがオスカーらしいのだと言われればそうなのかもしれないけど、どうしても自分が感じているオスカー本来の姿とは掛け離れているような気がしてしょうがない。
オスカーは本当に、ここに住んでいるんだろうか?

ぼんやりと考え事をしながらエレベーターに乗り込むと、オスカーは行き先階のボタンを押し、黙って正面を見つめていた。
そのままアンジェリークの腰に添えた手を、背骨に沿ってゆっくりと撫で上げる。
指先で羽のように軽く触れられただけなのに、アンジェリークの身体は即座にびくりと大きく反応し、背筋が弓なりに反り返った。
「んっ…」
思わず声を上げそうになり、慌てて口をつぐむ。
それでも相変わらずオスカーは無言で正面を向いたままで、これと言った感情の動きなどは一切感じられない。

……これってやっぱり、オスカーは部屋で私を口説くつもりなんだろうか。
それとも私が、自意識過剰すぎなの?
彼を好きになっちゃったから、ほんのささいな動きや言葉に、一方的に反応して勝手に熱くなってるのかしら。
そうよ、さっきだって…別に何かするつもりはないって言ってたじゃない。

それでも、今日の彼は何かが違うという感覚は拭い去れない。
そしてその感覚が、何か奇妙な不安を伴っているというのも。
このままオスカーの部屋に行ってしまっていいのか、やっぱりまだ迷いが残っている。

でもこんなに迷っているというのに、どうしてもオスカーの誘いは断りきれない。
ジョッシュから部屋に入れてくれと懇願された時は、あんなにきっぱりと断れたのに。
それは、私にもオスカーの部屋に行ってみたいと言う願望が、心のどこかにあるからだ。
どんな部屋に住んでるのか、どんな暮らしぶりをしてるのか。オスカーの事なら、どんな小さな事でも知っておきたい。
そしてもっと正直に言ってしまえば----心のさらに奥底では、彼にそこで口説かれてみたいとも思ってる。
車に乗り込んだ時のように、抱きしめられてキスされたい。映画館での時のように彼と寄り添いたい。
その先を求められたら、一緒に流されてしまいたい------
そこでエレベーターのドアが開き、アンジェリークは我に帰った。

いま、なんて事を考えてたの?
どんなにオスカーを好きになってしまっても、まずはジョッシュときちんと別れてから、って決心したばかりじゃない。
今ここで流されてしまいたいなんて、なんてバカな事を考えてるんだろう。

もし万が一、そういうムードになってしまったとしても-----ちゃんと自分の考えを伝えられるよう、心の準備をしておかなくては。
私は恋人とオスカーの2人を両天秤にかけたくない、ジョッシュとは別れるから、それまで待ってて欲しいのだと。
それでオスカーが待てないと言うのなら、たぶん彼の求めているのは恋人としての私じゃない。
-----誰とでもいい、ただのセックスが欲しいんだ、って事。

そう思ったら、少し気持ちがしゃんとしてきた。
大丈夫、ちゃんと言えるわ。
オスカーの事は好きだけど、決して彼のセックスフレンドになりたいわけじゃあ、ないんだもの。
アンジェリークは上目遣いで、表情を変えないオスカーの横顔をそっと見上げた。


オスカーは無表情に見せかけていたが、内心では穏やかでなかった。
むしろ、嵐が吹き荒れている。

アンジェリークを落とす計画は、ついさっきまでは完璧だった。
予定では今日のデートを思いっきり甘い雰囲気に持っていき、口説きまくって部屋へと誘う。
そのままムードを盛り上げて、彼女のほうからセックスしたい気になるよう仕向ける。
そこまできたら、あとは簡単だ。
恋人と別れて俺を選ぶよう、はっきり約束させてからベッドに連れていってやる。
晴れてアンジェリークは俺の物になり、長かった恋愛ゲームはあっけなくケリがつくはずだった。

予定通り、映画館でもレストランでも、アンジェリークは傍目にもハッキリとわかるくらい俺を欲しがってるのがわかった。
これは楽勝だな、そんな甘い考えが頭をよぎり、この後のベッドでの展開について早くも楽しい想像を巡らせていた。

なのに俺の家に誘った途端、「恋人に悪い」ときたもんだ。
今頃そんな事を言い出すくらいなら、なぜ俺に口説かれるままになっていた?
性的に興奮してるのがあからさまにわかるような瞳で俺を見つめ、嫌がる素振りすら見せなかったくせに。

じゃあぐずぐず抵抗するのかと思えば、そうでもない。
こっちが明るく接したら、今度はころっと態度を変えて家を見たいと言い出した。
そしてエレベーターの中では、軽く触れただけで反応し、誘うように小さな声をあげる。
本当に恋人に申し訳ないと思ってるのなら、ここで断固として断る事だって出来るはずだ。
それをしないのは、やはり彼女にも俺と寝たい気持ちがあるからだろう。

もしかするとこれが、彼女流の恋愛の駆け引きなのだろうか。
いかにも清純そうに恥じらってみせ、男を焦らす。
そして一転、無邪気に部屋に上がると言い出し、誘うだけ誘って、自分に都合が悪くなったら「何もしないと言ったじゃない」とでも言うつもりなのか?

冗談じゃない。あれだけ男に口説かれ、自分もその気になっていたくせに。
口説かれた男の家に自分からずかずか上がり込んで、それで何もされないなんて信じるのは、よっぽど警戒心のない世間知らずな娘くらいだ。
だが彼女は、見た目のわりに世間知らずではないし、警戒心も充分持ち合わせているのも知っている。
ならばこれは、やっぱり駆け引きなのだろう。いざとなったら、いつでも恋人の元に戻れるようにという。

女性達との恋の駆け引きは、嫌いじゃない。むしろ普段なら、楽しんでいると言ってもいい。
簡単に手の内をさらけだすような女じゃつまらないとすら、今までは思っていた。
しかし、この何も知らなそうな少女がそういう狡猾な駆け引きをしているのだと思うと、何故かひどく腹がたってくる。
エレベーターを降り、部屋の鍵を開け-------アンジェリークが迷っているようなふりをしながらも結局部屋に上がり込むのを見たら、その怒りは凶暴なまでに強くなった。

どうせ俺と寝るつもりなんだったら、お望み通りさっさとしてやろうじゃないか。
甘くムードを盛り上げるような、回りくどい真似などせずに。
彼女が駆け引きなど、持ち出せる暇もないうちに。


ドアの鍵を開けるオスカーの背中を見ながら、アンジェリークは緊張を堪えようと息を飲み込んだ。
カチャリと小さな音が響き、ドアが開く。
「お邪魔します…」
恐る恐る、足を玄関に踏み入れる。

部屋に入った第一印象は、「思ったよりあったかい雰囲気だな」というものだった。
マンションの内装自体は外観と同じで、シャープでモダンな感じがするものだし、壁や床の色もモノトーンの濃淡で、冷たい印象の造りだ。
玄関ホールも広くて天井が高く、高級感はあるが少し威圧的な感じもする。
でも、脇に置かれたメープル材の重厚なサイドテーブルや、手織らしいざっくりした編み目のタペストリー、柔らかな色合いの間接照明などが、部屋の冷たい印象を和らげている。
ごくシンプルだけれど、決して素っ気無い感じではなく、部屋の持ち主が1つ1つを丁寧に選び、大切に使っているのが伝わってくる。
何より正面の壁に飾られていた大きな剣が、この無機質な空間を、ダイナミックで男性的なものに変えていた。

やっぱりここは、オスカーの部屋だ。
彼らしい男らしさや力強さ、包み込んでくるような優しさが、部屋のあちこちから漂ってくるような感じがして、ホッとさせられる。
それに、あの大剣。
なぜだろう、剣なんて恐いだけの物なはずなのに-----見ていると、全然恐ろしい感じはしない。
なんだかあの剣は、オスカーそのものみたいだ。
凛として輝いていて、近寄り難いのに触れてみたくて-------

その剣に魅入られたように玄関で立ちすくんでいると、ドアが背後で閉まる音がした。
途端にオスカーに、背後から強く抱きしめられる。

「オ、オスカー?」
驚いて顔を後ろに向けると、今度は素早くキスで唇を塞がれた。
「んっ………!」
オスカーの舌が優しく侵入してきて、ゆっくりとアンジェリークの口内を味わっていく。

いきなりの深い口づけに、頭の芯がくらくらしてしまう。
抵抗しなければと思うのに、手足に全く力が入らない。
オスカーの熱が触れあった背中から伝わってきて、身体中の筋肉をぐにゃぐにゃに溶かしてしまっているかのよう。

だめよアンジェ、こういう事態になったら、ちゃんと言おうと決めていた事があったはずじゃない!
だけど、ああ。
何を言おうと思っていたのか、それすら思い出せない。
なんでオスカーって、こんなにキスが上手なんだろう。
キスだけなのに、もうまともに物事が考えられない-------

オスカーの手が、巧みにアンジェリークの腰から胸へと這い上がってくる。
洋服の上から柔らかい膨らみをそっと包み込み、重さを確かめるように下からすくいあげられる。
ブラウスのボタンがあっという間に外され、ブラの中に手が滑り込む。

素肌にオスカーの指の感触を感じて、アンジェリークの理性が僅かに正気を取り戻した。
「だ、だめ……」
首を振って口づけから逃れると、喘ぐような吐息と共に、必死で抵抗の言葉を絞り出す。
「何がダメなんだ?」
オスカーは唇を耳元に移動させると、そのまま甘く耳朶を噛みながら小さく笑った。

何がダメだったんだろう?
ああもう、頭がおかしくなってるみたいで、自分でも訳がわからない。
でもとにかく、このままセックスしちゃいけないって事だけはわかってる。
とにかく何でもいいから、この場を止めなければ-----!

「オ…スカー、さっき、何もしないって……」
「俺はお嬢ちゃんに、何もしないとは言ってない。疑われて、信用されてないんだな、とは言ったがな」
オスカーの指が乳首に辿り着き、指先で転がすように軽く先端を撫でられる。
「はぁん!」
乳首から頭のてっぺんに、ぴりっと電気のような衝撃が走る。

「お嬢ちゃんだって俺の家に来ると決めた時、こうなるのを期待してたんだろう?」
「ち、違…」
確かに心のどこかでは、オスカーに抱かれるのを期待していた部分もあった。
でも、それはこんな風に突然、嵐のように身体だけ奪われたかったんじゃない!

「あれだけ男に口説かれて、自分から家に上がり込んで----それで何もないと思ってたなんて、言わせないぜ」
オスカーの指が乳首をきゅっとつまみ上げたかと思うと、一転して優しく乳房全体を揉みしだく。
その緩急をつけた愛撫で、アンジェリークの身体から自在に快感を引き出していく。
もうアンジェリークの唇からは甘い声が洩れだして、止める事が出来ない。
「俺を欲しかったと、正直に言うんだ。そしたらすぐに、望みを叶えてやるから」
それでもアンジェリークは、いやいやするように首を横に振り続けて、声にならない抵抗を試みた。

しかしオスカーは愛撫の手を休めず、逆にアンジェリークのスカートを大きく捲りあげると、パンティに指を滑り込ませる。
そのまま秘部に指を這わせると、既に溢れだしている蜜を塗り広げるように大きく大胆に指を動かしていく。
「身体のほうが、正直だな。もう俺を欲しがって、こんなになってる……」
「…い…やぁ……」

拒まなければ、と頭ではわかっているのに。
オスカーがわざと大きく水音をたてる度に、それに反応するようにぴくぴくと腰が動いてしまう。
心と身体が裏腹で、自分でもコントロールが効かないまま、身体だけが暴走を始めている。
決してオスカーは私を動けないよう、羽交い締めにしている訳じゃない。
なのにどうしても、彼を振りほどく事が出来ない-------

「知ってたか?俺は今日1日、ずっとお嬢ちゃんが欲しかったんだ…」
ヒップに固いものを押し当てられ、欲望の滲んだ声で甘く囁かれると、それだけでもう絶頂感が襲ってくる。
アンジェリークは唇を噛んで、必死にそれを耐え抜いた。

だめだ、このままじゃ。
なし崩しにオスカーに抱かれてしまう。
私は何を、オスカーに言いたかったんだっけ?
ああそうだ、ジョッシュと別れるまで、こういうのは待って欲しいと伝えたかったんじゃなかったの?

「オスカー、だめ、私はジョッシュと…」
途切れ途切れに言葉を発したけれど、言いたい言葉は途中で切れた。
オスカーの指が身体の中に侵入してきて、奥深い所をかき回してきたのだから。

「ああぁっ…!…ん……は…ぁ………」
「ジョッシュって、あの恋人か?あいつなんかどうでもいい。俺を選ぶと言えよ」
身体中が快感に支配されていたのに、何故だかその瞬間、オスカーの口調に冷たい響きを感じた。
何かが、おかしい。そう思って、咄嗟に後ろを振り向く。
首筋に舌を這わすオスカーと一瞬目があって----その粗暴なまでに冷たく光る瞳の色を見て、アンジェリークの身体に恐怖が走り抜けた。

怖い-----------!

オスカーに恐怖を感じたのは、この時が初めてだった。
今までは、無条件に彼を信用していた。
そう、出逢って初めて抱かれた日から、ずっと。
でも今の彼は、何を考えているのかまるでわからない。
オスカーの瞳に映っているのは、情熱でも欲望でもなかった。
ただ、冷酷で無機質な光が宿っているようで-----恐ろしさに身が竦んだ。

「いや……いやぁっ!」

狂ったように身を捩り、逃れようと必死でもがいた。
もちろん自分の力ではオスカーに叶うはずもなく、その力強い腕からは逃れようもない。
一体彼は、なぜ私を抱こうとしているの?ただのお遊び?物欲しそうな女へのお情け?
そこにはほんの少しも、私への愛情はないの------?

混乱、悲しさ、絶望、無力感。訳がわからないくらい沢山の感情が入り交じり、突然涙がぼろぼろと溢れ出す。
その時突然、オスカーの腕の力がふっと弛んだ。
「どうして泣くんだ?」
「こんな…こんなふうに、か、身体だけの関係なんていや…!」

激しく泣きながらしゃくりあげるアンジェリークに、オスカーは戸惑いの表情を浮かべた。
まさか泣き出すとは思っていなかった。
だがアンジェリークの涙は、とても演技で流しているようには見えない。
じゃあ彼女は、本当にこうなる気なんてなかったとでも言うのか?

それとも彼女は、やっぱり恋人のほうを本気で愛していたのだろうか。
身体だけの関係はいやだ、と彼女は言った。
つまり未だに寝ている恋人との関係こそが本物で、俺との関係には心など伴っていないという事なのだろう。
ただ彼女も、身体のほうだけが俺を欲しがっていて、心と欲望のギャップに戸惑っているだけなのかもしれない。
事実、身体は俺に反応し続けていたが、口では恋人の名を出したりして、ずっと俺を拒み続けていた。
なのにアンジェリークは落ちる寸前だと決めつけて、勝手に俺1人だけで熱くなっていたのか?

彼女を疑ってひどい事をしようとした自分が、急に恥ずかしく思えた。
それ程アンジェリークの流す涙は、汚れていなくて純粋なものに見えたからだ。
彼女が恋人を好きなら、それでもいい。
これは単なる恋愛ゲームなんだ。嫌な思いをさせてまで、彼女を手に入れる必要などない。
ただ、こうして泣かせてしまったのが辛かった。

オスカーはアンジェリークの身体を優しく抱え込むようにしてこちらを向かせると、なだめるように何度も背中を撫でる。
「怯えさせて悪かった、俺はただ…本当に君を欲しかっただけだ」

その声の優しい響きに、アンジェリークは抵抗するのを止めて彼を見上げた。
さっきまで恐ろしいと感じたはずの彼の瞳には、もう冷たい色は何も映っていなくて----むしろ心配や、思いやりが色濃く現われているように見える。
オスカーは両手のひらででゆっくりとアンジェリークの泣き濡れた頬を包み込んだ。
「俺は、君の恋人になりたかったんだ。君のただ1人の、恋人に」
そのまま優しく、アンジェリークの涙を唇で吸い取っていく。

オスカーの唇が、アンジェリークの目蓋から頬、首筋へと伝っていく。
すっかり涙が拭い去られると、オスカーの唇はアンジェリークの震える金色の髪に埋められていく。
壊れ物を扱うようにそっと何度も髪に口づけられ、アンジェリークの心から、恐怖心がゆっくりと消え去っていく。

オスカーの腕の中で、優しく抱きしめられる。彼の胸に頭を預けると、力強い鼓動が聞こえてくる。
こうしていると、さっきの出来事が嘘みたいだ。
だって、彼はこんなにも私を丁寧に大切に扱ってくれているのに----何故さっきは、オスカーを怖いと思ってしまったんだろう?

それに----オスカーは、私の恋人になりたいと言ってくれた。
オスカーの恋人。
どれだけその言葉を、欲しかった事だろう。
そのたった一言で、私から不安が消え去り、今は強い喜びだけが心を占めている。

おずおずとオスカーの背中に手を回すと、自分がされているのと同じように、オスカーの背を撫でてみた。
途端にオスカーの身体が小さく震え、きつく抱きしめ返させられる。
アンジェリークはその強い抱擁に、息も出来ないほどの幸福感を感じた。

息をつくように顔を上げると、オスカーがそっと唇を合わせてくる。
優しく伺うような口づけは段々と深くなっていき、アンジェリークもそれに応えて舌を絡めあう。
オスカーの身体が、熱を帯びてくるのが伝わってくる。
その熱に溶かされてしまうように感じて、アンジェリークはくったりと彼の胸に身を預ける。
この瞬間------もうアンジェリークの頭の中には、抵抗しなければいけなかった理由はすべて消え去ってしまっていた。

ああ、また何も考えられなくなっていく。
こうしていると、幸せで----何がいけない事だったのか、わからない。
そうよ、オスカーを好きで、彼に抱かれたくて----一体それの、どこが間違ってるの?

オスカーが両手で、アンジェリークのヒップを掴んで強く引き寄せてくる。
太股の間に熱く脈打つオスカー自身を感じ、アンジェリークは気が遠くなる。
もっと彼を感じたくて、オスカーの首に両腕を回してしっかりと身体を寄せ、彼の愛撫に全身で答えると、心の命ずるままに言葉を告げた。

「オスカー、愛してる………」


その時突然、オスカーの身体がびくり、と強張った。
全ての愛撫の動きが止み、時間が止まってしまったような奇妙な沈黙が流れる。
オスカーがゆっくりと身体を離し、アンジェリークの両肩を壁に押し付けた時も-----まだアンジェリークは目の焦点が合っておらず、うっとりと夢を見ているような表情のままだった。

「お嬢ちゃんは、男なら誰にでもそう言ってるのか」

冷たくて感情のない声が頭の上から降り注いできて、アンジェリークは一気に夢から引き戻された。
何を言われたのかすぐには理解できなくて、そうっと前にいるオスカーの顔を見つめると------
石のように無表情な彼が、冷たい瞳でアンジェリークを見下ろしていた。

「さっきまで恋人に操をたてていたくせに、えらく心変わりが早いんだな。昨日は恋人と寝て、今日は俺の誘いを受ける。どっちも『愛してる』から、とでも言うのか?」

心臓がどくん、と大きく脈打ち、頭から冷水を浴びせられたように身体が急激に冷えてゆく。
オスカーは何を言ってるんだろう?
昨日は恋人と寝て…って、もしやジョッシュと一緒にいるところを見たんだろうか。
でもあれは、彼と夜を過ごしたわけじゃないのに!

「ち、違う………」
舌がもつれて、それ以上言葉が出ない。
アンジェリークは必死で首を横に振ったが、オスカーはそれを冷酷な微笑みで遮った。
「俺が何も知らないとでも思ってるのか?確かに俺も、今朝この目で見るまではすっかり騙されてた。恋人と寝たその日のうちに、よく俺の事を愛してるなんて言えるな?」

アンジェリークの全身は激しく震え、それ以上言葉を発する事ができない。
誤解だ!そう言いたいのに、オスカーの瞳にはっきりと浮かぶ怒りと軽蔑の色に、身体がすくんでしまって動けない。

オスカーは急に身体を離すと、スーツの胸ポケットから携帯電話を取り出した。
そのままアンジェリークに背を向けて、話し出す。
「ああ、食品輸入部のカークランドだ。すまないが、ミス・リモージュの送迎車をすぐに回してくれないか。住所は47丁目のジェファーソン・ストリート…」

何が起こっているのか理解できないまま、アンジェリークはこの光景を黙って見つめていた。
どこか非現実的で、これが自分の身の上に実際に起こっているのだという事が、いまだに信じられない。
さっきまでオスカーと映画を見たり食事をしたり、手を握られたりキスされて、浮かれていたのに。
それが一転して強引にセックスを迫られ、さらに二転して優しく求められ。
そしていきなり、この顛末だ。 一体何がどうしてこうなったの?

オスカーが電話を切り、こちらを振り向いた時も。
彼がいきなり笑い出して「驚いたか?冗談だ」と言ってくれるんじゃないかと、心のどこかで期待していた。
でも、オスカーの口から出た言葉は、やっぱり----これは現実なのだ、とはっきり認識させられるだけのものだった。

「5分で迎えの車が来る。今日はもう、帰ってくれ」

もう彼は、こちらに視線すら合わせなかった。
まるでアンジェリークが見えないかのように、黙って彼女の脇を通り過ぎ、ドアを開ける。
その無言の圧力に屈したくなくて、アンジェリークは歯を食いしばってもう一度首を横に振った。

「帰るんだ」
もう一度オスカーが語気を強めて繰り返したが、アンジェリークはその場を動かない。
恐怖で足がすくんでいたのもあったが、ここで誤解を残したまま、帰りたくはなかった。

「オスカー何か、ご、誤解してる…。ちゃ、んと、話し…」

必死だった。
泣きそうだったけど、泣くもんかと自分に言い聞かせた。
今泣いてしまったら、感情的になってちゃんと説明できなくなってしまう。
だから熱いものが鼻腔の奥から込み上げてきても、アンジェリークは必死でそれを飲み込んだ。

でもオスカーは、ふうっと大きな溜息を1つついて、アンジェをドアの外に押し出した。
「言い訳は聞きたくない」
そう言った彼の言葉は、何故か怒りに満ちたものではなくて----どちらかというと、苦々しい後悔のようなものを滲ませているように思えた。

彼の力強い腕に促されるように、マンションの出入り口まで連れていかれる。
もう送迎車は既に正面に停まっていて、オスカーは車のドアを開けると、後部座席にアンジェリークを抱え上げるようにして乗せた。
でも、部屋からここまで来る間も、車に乗せられた時も。
オスカーは決して手荒にアンジェリークを扱ってはいない。
強引だけど、痛い思いはさせないように、力を加減してくれているのがわかる。
こんな時にまで、彼のそんな優しさに気づいて心が熱くなってしまう自分が悲しかった。

「彼女のアパートまで頼む」
オスカーは運転手にそう告げると、くるりと踵を返した。
彼の背中を見た瞬間、アンジェリークは恐怖よりも強い感情が沸き起こった。

怖がってる場合じゃない。今話さなかったら、もうオスカーとは元通りになれないかもしれない。
そっちのほうがずっと恐ろしいと気がついて、アンジェリークは急いで窓を開けた。
勇気を振り絞って身を乗り出すと、オスカーの背中に向かって叫ぶ。
「お願い、オスカー!話を、聞いて…!」


でもオスカーは、振り返りもしなかった。