Sweet company

5. Such a Flirt (4)

オスカーはテキーラがなみなみと注がれたショットグラスを一気に飲み干すと、空のグラスをバーテンに向ける。
バーテンダーは無言のまま、今日何杯目になるかわからないお代わりを注ぎ足した。

騒々しい音楽と、女達の嬌声が耳に響く。
オスカーの座るバーカウンターの奥には広いダンスフロアが広がり、ブラックライトの中で踊る男女で立錐の余地もないほどだ。

ここ「Seven Heaven」は、シティでもっともHIPな人間達が集まる事で有名なナイトクラブだ。
エキセントリックな内装に、最先端を行く音楽を流すDJ。
有名人やセレブ達が夜な夜な集結し、またそれ目当てにお洒落な一般人が群がる。
混んだ店内は人にぶつからずには歩けないほどだが、そこから出会いが広がって、あっという間にそこかしこで即席カップルが誕生していく。
フロアのあちこちに唐突に配置されたソファには、そういった即席の恋人達が座り、熱いキスを交わしている。

アンジェリークを送り返した後、オスカーは1人でこの店へとやってきた。
この店には以前からよく足を運んでいたし、ここにくればつまらない感情など吹き飛ばしてしまうだけの刺激が、溢れているはずだったからだ。
だが今日に限っては、オスカーの心に浮き立つような感覚は戻ってこない。
あるのは苦い後悔、そして焼け付くような欲望の残骸。
オスカーはテキーラで満たされたグラスを、再び喉に流し込む。
しかしいくら飲んでも酔いは回らず、苛立つ思いはますます強くなっていくだけだ。

ちくしょう、なんでこんな事になっちまったんだ?
強引とも言えるやり方でアンジェリークを部屋に誘い、無理矢理抱こうとしておきながら、「帰れ」と勝手に言い放って。
めちゃくちゃだ、俺のやってることは。

あんな風に彼女を、帰すべきじゃなかった。
「誤解だから、話をしたい」彼女は泣き出しそうな顔でそう言っていた。
話ぐらい、聞いてやるべきじゃなかったのか?
そもそも俺は、何故「愛してる」と言われたくらいで、あんなに頭に血がのぼってしまったんだ?

アンジェリークを抱こうとして泣かせてしまい、俺は本当に狼狽えた。
彼女の涙は本物だ、アンジェリークは本当に恋人を愛しているのだと気付かされ、疑った俺が馬鹿だったと、ひどく自分を恥じた。
そうだ、俺はあの瞬間、再び彼女を信じた。
こんな純粋な少女が男を手玉に取るような、駆け引きなどするはずがない、と。

だから、もうアンジェリークを無理に手に入れようとは思わなかった。
とにかくただ、涙を止めてやりたい、それだけを思って必死でなだめていたら----今度は一転して、彼女の身体が俺に反応しはじめたんだ。
俺の抱擁に応え、情熱的にキスを返され----その途端に俺の頭の中は、またもや彼女を抱く事しか考えられなくなった。
強い欲望に目が眩み、恋人がいようがいまいが、どうでもよくなった。
ただどうしてもその瞬間、アンジェリークが欲しかった。
彼女はただ、肉体の欲望だけで俺に応じている、それでも良かったんだ。

なのに、彼女のあの発言だ。
俺を『愛してる』だと?

欲望に負けて、ただ俺と寝たかったというのならわかる。
俺だってあの時は同じだった。何がなんでも彼女を抱いてしまいたかったのだから。
その熱に互いに流されてしまってから「やっぱり恋人を愛してます」と正直に言われたほうが、よっぽど納得がいったのに。
恋愛ゲームは失敗に終わっても、俺はそれで構わなかったのだ。

なのに『愛してる』などという嘘の言葉で行為を正当化しようとする彼女に、猛烈に頭にきてしまった。
しかも--------認めたくはないが、俺はあの時、彼女の愛の言葉に一瞬だが喜んでしまった。
あんな嘘を一瞬でも喜んでしまった自分を、許せなかった。
そしていつも俺を信用させ、やすやすと俺の心を手玉にとる彼女が、許せなかった。

そうやって結局、男を意のままにしているつもりなのか。
彼女を信じて、またも裏切られた、そんな気がした。
自分でも抑えきれないくらい怒りの感情が噴き出し、冷静に物事を判断できなくなっていた。
そうして一方的に彼女を侮辱し、無理やり部屋から追い出してしまった。

だが、出ていけと言った瞬間にはもう、後悔していた------自分の勝手さに。

「愛してる」と言われたくらいで、カッとなって我を見失って。
俺だってベッドの中では、誰にだって愛の言葉くらい囁くじゃないか。
その時は俺なりに本気のつもりなんだが、よくよく考えれば真実、愛してると思った事などなかったくせに。
だが、嘘の言葉でも相手の女性が喜ぶのなら、それでいいのだと考えていなかったか?
そういう自分の嘘は棚にあげて、彼女の嘘だけ糾弾するつもりなのか?

あの時、アンジェリークの言う通り、話を聞いてやるべきだったのだ。
彼女が何を言おうが、俺のプライドが傷付こうが、何でも構わなかった。
あんな風に彼女を傷つける事だけは、避けられたに違いなかったのだから。

なぜ俺はあのお嬢ちゃんの事となると、こうも自分を見失ってしまうのか。
こうして1人になって冷静に考えると、俺のやった事は男として最低だと言わざるを得ない。
彼女を勝手に信用したのは俺なのに、騙されたと恨み言を言うのはお門違いだ。

自分の非礼をアンジェリークに詫びたかったが、もう遅い。
話をしたいとチャンスをくれた彼女を、無視して追い返してしまったのだから。
全く、これじゃあどっちが子供なのかわからないよな。

オスカーは自嘲気味に口元を上げて笑うと、グラスを前に差し出して、バーテンにお代わりを促す。
だが何杯グラスを傾けても相変わらず気持ちのいい酔いは訪れず、むしろ体内に燻った欲望は、ますます強くオスカーを苛んだ。

今この瞬間、無性にセックスがしたかった。
アンジェリークと初めて出会って抱いた日から、もう1ヶ月近く経とうとしている。
その間もちろん、アンジェリークを再び抱く事はなかったし、遊びで他の女性を抱く事もなかった。
生理的にもそろそろ欲求の限界に近づいていたし、彼女を抱こうとして高まった欲望が、行き場を無くして体内で嵐のように渦を巻いている。
全身が限界までぴりぴりと張りつめ、何かの弾みで簡単に爆発してしまいそうだ。

女達が、先程からチラチラと遠巻きに様子を伺っている。
オスカーはこの店では顔が知られた有名人だ。
誘ってもらいたいと待ち望む女性は多い。
大抵は女性連れでいる彼が、1人でいるのなど、滅多にないチャンスなのだ。

しかしオスカーが全身から発しているカミソリのようなオーラに気押され、誰も声を駆ける事ができない。
普段の陽気なプレイボーイの面影はどこにもなく、気安く近づいたら身に纏っている鋭利な空気に切り裂かれてしまいそうなのだから。
混雑した熱気のある店内で、オスカーの周りだけが静かで別の世界のようだ。

オスカー自身も、遠巻きにこちらを見ているだけの女性達に声をかける気にはなれなかった。
セックスが欲しいのは事実だが、だからと言って性欲のはけ口としてだけ女性を誘っても、満足できないのもわかっている。
俺から誘いたいと思わせる魅力がある女性でなければ。
頭を占める、アンジェリークの面影を消し去ってくれるくらいの魅力のある、そんな女性。
そして同時に、今の俺に声をかけてくるくらいの気概のある女性でなければ、この狂いそうな激しい欲望を受け止めきることなど不可能なのだから。

「あなたが1人でいるなんて、珍しい事もあるものね」

背後から聞こえた声に、オスカーが振り向いた。
そこにはモデルのような長身を鮮やかな色のミニドレスに包んだ、ゴージャスな美女が立っている。
オスカーは張り詰めていた気を緩めると、口元を小さく上げて笑った。

「…セレナか。そっちこそ1人だなんて、驚きだな」
「ふふ、隣にかけてもいいかしら?」
「もちろん、君だったらいつだって大歓迎だ。なんだったら隣と言わず、俺の膝の上でもいいんだぜ?」
「相変わらずね、プレイボーイさん」
セレナと呼ばれた女性は、くすくすと謎めいた笑みを浮かべてオスカーの隣に腰掛けた。

セレナ・ジョーンズは、オスカーがこのシティにやってきた当初からの知り合いだ。
プエルトリカンとチャイニーズの血が混じっているエキゾチックなこの美女は、オスカーがスモルニィに入社した当時から、既に成功者としてこの街では有名な存在だった。

元々はモデル出身で、若い頃はセクシーな下着姿のカバーガールとして男性誌のグラビアを賑わせていたという。
そこからのツテで下着専門のスタイリストとして転身し、テレビの深夜番組などで実績を上げ----30代になる頃には、シティ1の高級ショッピング街に自分の名を冠したランジェリーブティックをオープンさせた。
常にお洒落な女性達で賑わうこの店は、今や世界中でフランチャイズ展開され、どの国でも最も成功したブティックの1つとして知られるまでになった。

この店が成功した大きな要因は、自らイメージガールを務めるセレナ自身の魅力にあると言っても、過言ではない。
とにかく、『セクシー』という言葉は彼女の為に作られたのではないか?と思わせるほど、男も女も魅了されるような色気が全身から滲み出ている。

燃えるようなコパーオレンジの巻き毛に、ブロンズ色に輝く肌、アーモンドのような形の金色の瞳。
雌豹のようにしなやかな長い足、引き締まったウエストから続く、奮いつきたくなるほど豊かなヒップ。
細い手足とはアンバランスなほど大きな乳房は、歩く度に柔らかく跳ね上がり、同性でも30秒は視線が釘付けになる。
自信に溢れた表情や、ダイナミックなのに女らしい動き、色気のある仕種。
しかもここまでセクシーでありながら、過剰ないやらしさや媚びはどこにも感じられない。
女実業家として、ぴったりと身体に張り付いたミニスーツにシルクのキャミソールという姿で、自家用ジェットで世界中を飛び回る彼女の写真は、ファッション誌でも度々取り上げられるほどだ。

年齢的にはオスカーより10近く上になるらしいし、バツイチだの、男を食い物にしてのし上がっただの、いろんな噂が彼女の周りには流れている。
だがセレナを見ていると、そんな些細な事は彼女の女としての魅力を少しも損なわないのだと気づかされる。
彼女の横に並ぶと、ちょっとした若い美人のモデルでも、たちまち霞んで見えてしまう。
若い女には出せない「成功者としての自信」が、彼女を一層輝かせているのだ。

男なら誰でも、こんな女性を一度でいいから抱いてみたいと思うだろう。
もちろんオスカーも、それは同じだ。
ただ普通の男とは少し違うのは、オスカーはセレナとは既に「そういう関係」にあったという点だ。

オスカーがシティにやってきてすぐ、この年上の美女はオスカーに目を止めた。
見た目の美しさや、内面の野心。そういった似たものを内包する同士の2人が、惹かれ合うのは自然な成りゆきだった。
たちまち2人は恋人関係になったが、互いに1人の人間に縛られるのは性に合わない事から、すぐにその関係は終わりを告げた。

だが、身体の相性も抜群で、誰よりも後腐れのない関係を持てる相手として、互いに決まったパートナーのいない時は、どちらからともなく肌を重ねあう。
オスカーとセレナは、長い間そういった『気楽な』大人の関係を続けていた。


オスカーは隣に座ったセレナの為にブラックルシアンを注文し、自分はテキーラのショットをもう一杯頼む。
「私の好きなカクテルを覚えてくれてるなんて、嬉しいわね」
「こんなとびきりの美女が、せっかく1人でここにいるんだ。俺も気を惹きたくて、必死なのさ」
耳に心地よい甘い台詞を楽しみながら、セレナは艶然と微笑む。
「それが、残念ながら1人じゃないの。今日のお相手はあっちにいる坊やよ」

セレナの視線の先を追うと、奥のテーブルに若いモデル風の青年が1人、心もとなげに座っている。
肩に届く長い金髪に、彫刻のように整った容貌の、いわゆる本物の『美形』。
年の頃はせいぜい20代前半、セレナとは一回り半くらい年が違いそうだ。
オスカーは感心した様子で眉を上げ、ヒュー、と小さく口笛を鳴らした。
「さすがはこの街の女王様だな。すごい美形を連れてるじゃないか」

だがセレナは、つまらなそうに肩を竦めた。
「そうなの、ちょっと見た事がないくらいの美形だったから、恋人にしたんだけど-----なんていうか、中身が空っぽなのよ。しゃべっててもつまらないし、やる事もスマートじゃなくって。セックスも若さと勢いだけだから、もう飽きちゃったわ」
「相変わらずハッキリと口に出すんだな。だが、そういうところも君の魅力なんだが」
「あら、そう?まあとにかく、今日もこの店に行ってみたいって言うから連れてきたんだけど----おどおどしてて、全然輝いて見えないの。彼なんて、連れ歩いて見せびらかす以外に楽しみがないのに」

セレナはそう言うと、小さなハンドバッグから部屋のキーを取り出した。
それをオスカーの目の前で揺らし、意味ありげに笑う。
「だからね、もうあの子は置いて帰っちゃおうかなと思って。でも1人で帰るのも面白くないから、誰か送ってくれる素敵な男性を探していたのよ」
「…なるほど、それで俺に女王様を送る光栄な騎士の役が回ってきたと言う訳か」

オスカーは不敵な笑みを浮かべて椅子から立ち上がると、優雅な仕種でお辞儀をしてから右手を差し出した。
「恐れながらこのオスカーでよろしければ、女王様をお送りいたしましょう」
セレナはオスカーの手にキーをぽとりと落とすと、そのまま自分の手をを重ねて、立ち上がる。

出口へと向かうこの完璧な美男美女のカップルを、周りの客達が憧れの目で見つめている。
その視線を楽しむように、セレナはゆっくりと人並みを縫うように歩く。
オスカーはそんな彼女の腰に手をやり、引き締まったヒップラインを中指でゆっくりと撫で上げた。
その感触にセレナが立ち止まり、誘うように上目遣いでオスカーを見上げる。

「ねえオスカー、知ってた?今日のあなたって、いつもに増してセクシーだわ。なんて言うか、触れると斬られそうな危険な感じがするのよ」
「…ちょっとむしゃくしゃする事があったからかな」
「じゃあ、思いっきり楽しみましょうよ。イヤな事なんて、吹っ飛ばしちゃうくらい」

セレナを見つめ返すオスカーの瞳に、すっと欲望の色が浮かぶ。
それを確認し、セレナは満足そうに喉を鳴らすと、再び出口へ向かって歩き始めた。