Sweet company

8. Lovely Days (5)

ピンポーン♪

どっきーん!
(来たっ、オスカーだわ!)
ソファに座っていたアンジェは、ドアチャイムの音に驚いたように跳ね上がった。
そのままドキドキと高鳴る胸を押さえ、急いでドアに向かう。

今日のデート、オスカーは一体どんな格好で来たんだろう。
タキシードとか、ばっちりフォーマルだったらどうしよう…
一応私もおニューの服を着ているとは言え、あくまでこれは普段着なんだもの。
あまりに彼と釣り合いがとれないようだったら、オスカーを失望させちゃわないだろうか?

期待と不安がないまぜになりながらドアを開けると、そこには花束を小脇に抱えたオスカーが立っていた。
彼の服装はフォーマルでこそなかったけれど、頭の中で想像していた姿なんかより、ずうっとお洒落で素敵だ。
いつものビジネススーツより少し細身で遊び心のある黒のジャケットとトラウザー。
柔らかなシルク素材の上質なボタンダウンシャツ。
襟元のボタンは少し外され、そこからちらりと小粋な柄のスカーフが覗いている。

ノータイだし、いわゆるドレスアップスタイルではない。
けれど着くずした感じがしながらも決してラフになり過ぎず、程よいクラス感すら感じられて。
手にした赤い薔薇の花束さえ、まるでスタイルの一部のようにすんなりと馴染んでいる。

今日のオスカーを一言で言うなら、遊び慣れた大人の伊達男、かな。
彼を見てるだけで、今日のデートがどんなにお洒落な場所なのかが、わかるような気がしてくる。
きっとそこはいかにも都会的で洗練された、大人の社交場。
カジュアルじゃ絶対に浮いてしまう、スノッブな雰囲気のお店。そんな感じじゃないかしら。

なのに私がこんな普段着じゃ、やっぱりまずいんじゃないだろうか?
そうは思っても自分ではどうする事もできず、ただぼうっと彼の姿に見とれる事しか出来ない。
こんな風にぽかんと口を開けて突っ立ってると、「そんなに俺が格好いいからって、見とれてばかりいるとまた転ぶぞ」とか、からかわれそうなものだけど。
何故か、今日のオスカーは違った。
ドアの前に立ちすくむ彼は、いつものように挨拶のキスもせず、気のきいた甘い言葉すらかけてこない。
ただ、その切れ長の瞳を僅かに見開いて、身動きもせずにアンジェリークを見つめている。

玄関先で突っ立ったまま、黙りこくる2人。
その均衡を先に破ったのは、アンジェリークのほうだった。
彼の様子がおかしい事に気がついて、少し不安げに声をかける。
「…オスカー、どうしたの?やっぱり私の格好、おかしかった…?」

その言葉にハッとしたようにオスカーは瞬きして、苦笑しながらアンジェリークに花束を差し出す。
「いやそうじゃない、むしろ逆だな。あんまりお嬢ちゃんが輝いて見えたんで…正直、驚いたんだ。いつもと少し感じが違うからかな?とにかく今日のお嬢ちゃんは、身体の中から光が滲んでるようだ」
「…ほんとう?私も今夜のデートはすっごく楽しみにしてたから、いつもよりお洒落したつもりなんだけど…でもオスカーに比べると、私の格好はいかにも普段着、って感じよね」

アンジェリークは少しはにかみながら花束を受け取り、白いオフタートルの半袖ニットにベージュのミニプリーツスカートという自分の格好を見下ろした。
いつもの普段着よりは格段にお洒落っぽいとは言え、やっぱりカジュアルすぎる感は否めない。
お世辞にもこの赤い薔薇の花が似合うファッションとは言い難いのだ。

「今日のお嬢ちゃんは、それで充分魅力的だ」
オスカーが掠れた声で囁き、すっと上体を折り曲げる。
アンジェリークはいつものように挨拶のキスを受けようと、頬を上向けた。

オスカーの唇が頬に優しく押し当てられたが、キスは挨拶の意味だけでは終わらなかった。
そのまま唇は頬をゆっくりと横切るように滑り、耳元まで辿り着く。
耳朶を柔らかく甘噛みされ、耳の裏側に舌を這わされると、アンジェリークの唇からほうっと甘い吐息が零れ出す。
それが合図だったとでもいうようにオスカーの両手が金色の髪に差し込まれ、顔を上向けられた。
そのまま吐息を飲み干すかのように、一気に深く口づけられる。

「ん……」
のしかかられて絡め取られるような激しいキスに、アンジェリークの身体から力が抜け、その腕から花束が滑り落ちた。
ぱさりと乾いた音が床に響き、その音でオスカーは閉じていた瞳を開けると、ゆっくりと唇を離した。
既にアンジェリークは息が上がりはじめていて、頬が薔薇色に紅潮している。
オスカーは名残惜しそうにアンジェリークの鼻に自分の鼻を擦り付け、額と額をこつんと合わせてからふうっと息を吐き出した。

「…まずいな、これじゃデートをキャンセルして今にもお嬢ちゃんを押し倒しちまいそうだ」
その声にアンジェリークがぱちりと目を開けると、オスカーの水色の瞳が触れあうほど間近でこちらを見つめていた。
その瞳の奥には、熱い欲望が炎のように揺らいで見える。
途端にアンジェリークも正気に戻り、かぁっと顔が熱くなった。
オスカーは小さく笑って身体を離し、床に落ちていた花束を拾い上げてキッチンへ向かう。
手慣れた様子で棚から花瓶を取り出し、水を入れ始めたのを見て、アンジェリークは慌てて駆け寄った。

「ごめんなさい、後は私がやるから!」
オスカーから花瓶を受け取ろうとして、互いの指が触れあった。
たったそれだけなのに、指先からビリっと電流が流れ込んだような気がして、思わず花瓶を取り落としそうになる。
だけども彼がアンジェの手ごと花瓶を受け止めてくれたので、被害は水滴が跳ねるだけに留まった。

「あ、ありがとう…」
オスカーに両手を包み込まれるような格好で、アンジェリークはどぎまぎしながらようやくその一言を呟いた。
その声は、はっきりとわかるくらいに震えている。
付き合ってからこの1週間、毎日のように互いの家に泊まり、抱き合って過ごしているというのに。
どうして未だに、こんな手と手が触れあってるだけでもドキドキしちゃうんだろう?

オスカーは少しだけ指先に力を入れてアンジェリークの手を握ると、そのまま注意深く花瓶をダイニングテーブルの上に乗せた。
花瓶を挟んで手を触れあわせたままの格好で、2人の視線が絡み合う。
彼の青い瞳に見つめられただけで、身体中にビリビリした電流が走り抜けていく。

「どうやら早く出かけたほうが良さそうだな。…俺達の理性が残ってるうちに」
「そ、そうねっ!」
アンジェリークは真っ赤になりながらぱっと手を離し、わたわたと部屋を飛び出した。


車に乗り込むと、オスカーは滑らかにエンジンをスタートさせながらアンジェリークに話し掛ける。
「レストランは、まだ予約時間まで余裕があるんだ。先に寄っていきたいところがあるんだが、いいか?」
「う、うん」
頷きながらも、アンジェリークはオリヴィエの言葉を思い出す。

---絶対アイツから『ドレスを買いに行こう』って言いだすから。私の予言は当たるんだ、信用してよ---

…まさか、ね。
いくらなんでもそんな都合のいい展開、少女漫画や恋愛小説じゃあるまいし。
オスカーと並ぶと確かに私のファッションはカジュアルすぎるけど、そーんなに飛び抜けてダサい、って程じゃないと思う。
オスカーだって「今日のお嬢ちゃんは充分魅力的だ」って言ってくれたじゃない?

そうこうしているうちに、車はブティック街の一角に滑り込んでから、停まった。
「少し、歩かないか」
促されて車を降り、特に目的もないまま2人でぶらぶらと夕暮れの街を歩く。
レンガ敷の通りは両端に洒落たブティックが立ち並び、そろそろ暗くなりはじめた空に合わせるかのように、一軒、また一軒とショーウィンドウがライトアップされていく。

(…これってやっぱり、私のドレスを買いに行くんだろうか)
まさかとは思っても、それでもやはり女心としては期待に胸が膨らんでしまう。
だからといって物欲しげにウィンドウを覗き込むのも、図々しく思えて少々気が引ける。
それでも薄暗い街に少しづつライトが点灯していく様は幻想的なくらい綺麗で、ついつい灯りが点った方角に視線が動いてしまう。

すぐ脇の小さなブティックのウィンドウが、パッと明るくなった。
思わず目を向けると、スポットライトに照らされて、2体のマネキンが浮かび上がっている。
片方のマネキンは、ピンクシフォンの透けるような柔らかいツーピース。
もう一体は、リトル・ブラック・ドレス。身体にぴたりと張り付くようなミニマムな黒のワンピースだ。
どちらもシンプルなのにどこかセクシーで、しかも可愛さも感じられるデザイン。
ちょっとしたお洒落なデートに相応しい格があり、しかもフォーマルほど仰々しくもない。

「うわぁ、素敵…!」
思わず声に出してしまい、慌てて片手で口を塞いだ。
でも時既に遅く、オスカーはアンジェリークの腰に当てた手に力を込めると、ほとんど強引にブティックの店内へと入っていった。

「そのウィンドウに飾ってあるドレスを、両方とも試着したいんだが」
オスカーが指差すと、店員はにこやかに微笑みながらドレスをマネキンから外していく。
「オ、オスカー?これって、えっと…」
「もちろん、これからのデートに着ていくドレスだ。お嬢ちゃんもさっき、自分の格好は普段着みたいだと言ってただろう?」
当然のようにオスカーは言い放つと「え?え?でででも…」とオタオタするアンジェリークを、さっさと試着室に閉じ込めてしまった。

小さな試着室の中でアンジェリークは、2着のドレスを手に茫然とする。
それから恐る恐る、といった様子でドレスの脇に付けられた値札を確認した。
…これって両方とも、結構いいお値段なんですけど……

もちろんブランド品とかではないので、目玉が飛び出るような法外な値段がついてる訳ではない。
それでも今日、ロザリア達と買い物した普段着やスーツと比べたら、やはり高価だ。
特にピンクのツーピースは、シルク製だからなのかかなりお値段が張っている。
黒のドレスだって、手が届かない値段じゃないけど、20歳のOLがサラリーで買うにはちょっと勇気がいる金額だ。
これって普通に考えたら、どっちかをオスカーがプレゼントしてくれるって事なのよね?
でもこんなに高価なもの、はいそうですかと気軽に受け取る訳にはいかないよー!

「お客さま、お召しになられましたか?」
販売員の声が聞こえて、アンジェリークは飛び上がった。
「早く見せてくれよ、お嬢ちゃん」
追い討ちをかけるようにオスカーの声が聞こえ、アンジェリークは覚悟を決めた。

…しょうがない、とりあえず両方とも着てみよう。
それでもしオスカーがどっちかを買ってくれようとしたら、「私も少し払います」って言わなくちゃ。
さすがに全部自分で払いますと言うには躊躇するような値段だけど、割り勘だったらどうにかなる。
それでも今日は結構、散財しちゃったからなぁ。
明日からしばらく、食費を切り詰めないと。

所帯じみた心配をしつつ、まずはピンクのツーピースに袖を通す。
途端にふわりと柔らかい感触が肌に纏わりつき、アンジェリークはその気持ち良さに思わず感嘆の声をあげそうになった。
軽くて、まるで羽を身に纏ってるみたい…!
くるりと身を翻すと、腰のリボンと細かいプリーツのスカートが同時に空気を孕んで舞い上がり、ゆっくりと元の場所に納まった。
へえー。これって仕立てがいいから、軽いのに風が吹いても大きくまくれ上がり過ぎたり、着崩れたりしないんだ。
感心して何度もくるくる回っていると、「おい、まだか?」という声と共に、いきなり試着室のドアが開いた。

「きゃっ!」
「なんだ、もうとっくに着替えてるんじゃないか」
ぐいっと腕を引っ張られ、外の鏡の前まで引っぱりだされた。
「オスカーったら!勝手にレディの試着室を開けるのは、失礼よ!」
彼を上目遣いに思いきり睨み付けてやろうと思ったのに、そうはできなかった。
あまりに熱のこもった視線を、こちらに向けられていたから。

「…良く似合ってる。どこから見ても上品な一流のレディだな」
オスカーが顔を斜めに傾け、アンジェリークの頬を撫でながら視線を全身に這わせてくる。
アンジェリークは真っ赤になって慌てて鏡へと視線を移した。
そこに映る自分は、確かにいつもとは別人のようにエレガントな女性に見える。

ハイネックのアメリカンスリーブのブラウスは、肩が大きく露出するデザインでありながら、いやらしさは微塵も感じられなくて、むしろ品がいい。
ウエストの下でふわりとブラウジングして、大きな幅広のリボンが腰を横切るように結ばれている。
細かい膝丈のプリーツスカートは、腰から腿までは優しくフィットして、膝上から波打つように僅かに広がっている。
上品でリッチな雰囲気でありながら、可愛らしさもあって。
こんな大人びた洋服が似合うなんて思いもよらなかったけど、確かにこの服は私に似合っていて、しかも新しい自分の魅力まで教えてくれている。

「これを貰おう」
アンジェリークに視線をぴたりと当てたままで、オスカーが販売員に声をかける。
その声に、アンジェリークはいきなり夢見心地から引き戻された。
「あ、でも待って!もう1着も着てみないと…」
ピンクのドレスは確かに素敵だけど、こっちのほうが高価なんだし、そもそも彼は値札も見てないんだもの!

アンジェリークは試着室に再び飛び込むと、黒のワンピースに着替え、今度は急いで外に出た。
ピンクのツーピースがふんわりしていて優しいイメージだったのに比べ、こちらはかなりセクシーだ。
ストレッチの効いた素材が肌にぴったり張り付いて、身体のラインをくっきりと目立たせている。
スカート丈も膝上10センチくらいのミニだし、襟元も横に大きく開いていて、肩が抜けそうなギリギリのラインで止まっている。
それでもセクシーすぎず、可愛らしい感じがするのは、小さなパフスリーブと、胸元に寄せられたギャザーとリボンのお陰だ。

うん、こっちも結構いいかも。
値段的にこっちのほうが手ごろというのもあるけど、セクシーな自分というのが意外性があってかなり新鮮。
それに何よりも、このドレスは今日のオスカーの格好に合っている。
これなら隣に並んでも、子供っぽくも見えないし、少しは彼に釣り合った女性に見えるかもしれない---

アンジェリークは後ろに立つオスカーに、鏡越しにちらりと視線を向けた。
オスカーは壁に寄り掛かった姿勢で、腕を組んで黙ってアンジェリークを見つめている。
彼の視線がむき出しになった背中と肩の辺りにぴたりと当てられているのに気付き、思わずうなじが粟立つ。
ぞくぞくするような熱っぽい視線に晒されていると、オスカーも少しは私の事をセクシーだと思ってくれているような、そんな自信過剰なくらい浮き立った気分にもなってくる。

よしっ、思いきってこのドレス、自分で買っちゃおう。
ちょっとお財布が痛いけど、明日からお弁当と水筒を持参して節約すればなんとかなるし-----

「こっちのドレスは着ていくから、さっきの服は包んでくれ」

オスカーの声が聞こえ、頭の中で算盤をはじいていたアンジェリークは、びっくりして振り向いた。
「オ、オスカー?ちょ、ちょっと待って…」
「あと、このドレスに合った靴とバッグも選んでくれないか。…ああ、それがいいな。ついでにそこのストールも」
気前のいい客に、販売員もにこにこと何色かのシルクストールを持ってきて、オスカーに見せるように1枚づつ広げながら、アンジェリークのドレスに合わせていく。
「うん、そのラベンダー色のやつがいいな。じゃあ支払はこれで頼む」
戸惑うアンジェリークに構わず、オスカーはさっさとクレジットカードを販売員に渡してサインを済ませ、ピンクのドレスの入ったショッピングバッグを受け取った。
「よし、ちょうどいい時間だな」
腕時計にちらりと視線を走らせてから、アンジェリークの手をとってにこやかに店員に礼を告げて店を後にする。

「オスカー、あの…」
「そのドレス、本当によく似合ってるぜ。こんなキュートでセクシーな恋人を連れてデートできるなんて、全く俺は幸せ者だ」
「あ、ありがとう…じゃなくてっ!」
「あんまり綺麗なんで、このまま車の中で襲っちまいそうで心配だ」
「へ…?ええっ?!」
「だがせっかくこんなに綺麗な姿でいるんだ、壊さずにこのままずっと眺めてもいたいな」

口を挟むヒマがない、とはまさにこの事だ。
『こんな高価な洋服、受け取れません』と言おうとする度に、オスカーの口からは熱っぽい賛辞の言葉が飛び出してきて、アンジェリークはそれ以上何も言えなくなってしまう。
車に乗り込んで、オスカーがイグニッションにキーを差し込んだときに訪れた僅かな沈黙に、アンジェリークは思いきって口を開いた。

「あのっ、オスカー!買ってもらったのにこんな事を言うのもなんだけど、私、これは受け取れない…」
でもオスカーは、まるでその言葉を予期していたかのようだった。
慌てず騒がず、ゆっくりとアクセルを踏み込みながら余裕の笑みをこちらに向けてくる。

「なんだ、その服は気に入らなかったか?」
「ううん、そうじゃない!むしろ、すっごく気に入ってる。自分でも似合ってると思えたし…。でもこれ、すっごく高価じゃない?一枚だけでも申し訳ないのに、2着、しかも靴やバッグまでなんて…あの、全部は無理だけど、私も少しはお支払いするから…」
「おいおい、俺をがっかりさせないでくれよ」
オスカーはハンドルを握ったままで、ふ、と笑った。

「いいか、まず今日のデートは、俺もすごく楽しみにしてた。最初から服をプレゼントするのも計画のうちだったし、何よりもそのドレスがお嬢ちゃんに本当に似合ってると思ったんだ。そのドレスを着たお嬢ちゃんを連れてデートできると思うだけで、子供みたいにわくわくしてるんだぞ?」
「その気持ちはすっごく嬉しいけど、でもやっぱり高価すぎるし…」
「心配するな、それだけの下心はたっぷりあるから」
「え…」
「男が恋人にドレスをプレゼントするのは、それを脱がせたいからでもあるからな」

前を向いたまま、オスカーはさらりと言い放った。
アンジェリークは言葉も失って、一気に全身が朱に染まる。

「ま、半分は冗談だが、半分は本気だ。それに俺だって一生懸命汗水流して働いてるんだから、給料くらい自分の好きなように使わせてくれよ。お嬢ちゃんと知り合ってからは、デートと言えば居酒屋に焼き鳥屋に社員食堂だろ?せっかくの高給の使い道がなくて、困ってるんだ」
冗談めかして言われたので、アンジェリークはあっけに取られつつも、思わずくすっと笑ってしまった。

そうよね、考えてみたら、オスカーは大会社の部長さんなんだ。
私なんかより当然お給料も貰ってるだろうし、このドレスくらいプレゼントしたってそんなに痛くもないというのが、本当のところなのかもしれない。
それなのに「私が払います」なんて人前で言ってたら、彼の面目は丸つぶれになってしまうところだった。
きっとオスカーは全部わかってて、少し強引なくらいにこれをプレゼントしてくれたに違いない。
ならば私も、ここは気持ち良く彼の好意を受け取ろう。

「…オスカー、ありがとう。このドレス、大切にするね」
感謝の言葉を告げると、オスカーがようやくこちらを見て、嬉しそうに頷いた。
「ああ、だが俺が手荒に扱って破いたとしても、怒らないでくれよ」
「もうっ、すぐにそういう事言うんだから!それって立派なセクハラよっ!」

真っ赤になって拳を振り上げたアンジェリークを見て、オスカーはハハハ、と仰け反るように大声をあげて笑っていた。